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2月, 2009の投稿を表示しています

携帯カメラの写真

 写真の本を見ていたら、携帯電話のカメラという項目で、写真家のRobert Clark氏についての話が載っており、携帯電話のカメラだけでアメリカを旅行しながら毎日写真を発表するという企画があったそうで(2005年の企画?)、いくつかの写真も載っていたのですが、携帯電話のカメラでも使う人によってはこんな作品が生まれるんだなと、撮影の目的によって選ぶカメラは様々でしょうが、私にとっては携帯電話のカメラで十分なのかと、これらの写真を見ながら思いました。  写真(全てではないと思いますが)は、Robert Clark氏の公式サイトの“special projects”→“Image America”から見ることが出来ます。

ふたたびルーリン彗星

 昨晩も晴れたので、ルーリン彗星を探してみました(21日夜~)。一日毎に場所が変わるので大体の位置を覚えて、今夜は卓上望遠鏡で見てみます。今夜は近くに目印となるようなものがあまりないので、なかなか探し当てることは出来ませんでしたが、暗さに目が慣れてくるに従って、どうやらそれらしきものが何となく見えてきました。見えているのかどうかが分からないほど、本当に“何となく”です。写真に撮るとその場所に彗星が写っていたので、やっと見えたということに確信が持てました。今夜からはもう当分星空は期待出来そうにありません。

ルーリン彗星

 ルーリン彗星の最接近は24日だそうですが、これからは天気が悪くなってしまうそうなので、今夜の晴れが最後のチャンスだと思い、風の強い夜空を眺めていました。  木星土星を挟んで、しし座のレグルス、おとめ座のスピカはすぐ見付けられたのですが、空は真冬の澄み渡った空気!とはならず、また何となく明るく、小さな双眼鏡ではルーリン彗星を見付けることは出来ませんでした。  写真に撮ると、ぼやっとした彗星が見えました。その写真を頼りに再び双眼鏡で挑戦してみましたが、やっぱり無理でした…。  下の写真は1997年に見たヘール・ボップ彗星です。今までに見た彗星の中で一番大きいもの(よく見えたもの)だと思いますが、これくらいの彗星をまた見てみたいものです。

Rainbow

 薄い雲に被われ、淡い色に染まってきた夕方の空。  ふとビルの上のほうに目をやると、上空には短い弧を描いた虹が浮かんでいた。

千日回峰行

 千日回峰行という修験道の荒行を達成された、塩沼亮潤氏の対談『大峯千日回峰行 - 修験道の荒行』(塩沼亮潤・板橋興宗/春秋社)を読みました。  比叡山でも千日回峰行は行なわれていますが、塩沼氏は奈良の吉野、金峯山寺で修行なさったそうです。金峯山寺の千日回峰行では数年かけて地球を一周する距離を歩かれるそうです。往復48km、標高差が1,300mもある山の中をです。一度始めると途中でやめる事は出来ません。やめるという事=死を意味し、そのための短刀などを携帯しているそうです。また詳しいことは省略しますが、千日回峰行はお不動様の修行だそうです。  本は塩沼氏の子供の頃の話から始まるのですが、家はとても貧しく、けれどもいつも人に囲まれ笑いに満ちていたそうで、こういう話を聞いていますと、生活に必要なお金は必要だというような言葉すらも褪せてしまうほど、人の縁というのは大切なものだなと思います。  高校を卒業されて(準備期間を経られて)千日回峰行へと臨むわけですが、これほどの命をかけた修行をするに当たって、師弟のあいだでとても大変なやりとりがあるのかと思っていましたが、「山を歩きたいのですが」「どうぞ」という程度のものだそうで、あとはそれこそ自分との修行だそうです。  千日回峰行の修行について間違ってはならないのは、この修行は自分だけのためではなく、他人のための利他行だということです。  千日回峰行の後にも、断食・断水・不眠・不臥で九日間お堂に籠もり修行する四無行、また塩(命に関わります)や五穀を長い期間断ち臨む八千枚護摩供なども修行されました。そしてこれらの修行を終えられた塩沼氏は、大阿闍梨さまと呼ばれています。  千日回峰行をはじめとしたこれらの修行は普通の人間にとってとうてい成し遂げることは困難ですが、ただこの修行を終えられた方々がそのまま仙人のようになってしまうのではなく、一人の人間として私たちのあいだに再び戻って来て下さるということに、普通の人間にも備わっている可能性(ここでは仏性でしょうか)を信じさせてくれるような、そんな深い意味があるような気がします。このことは、ブッダも一度は苦行を経験し、そして、快楽との両極端ではなく“中道”という教えを人々に交わりながら説いた、ということに繋がるのだろうかなと思います。

星空ナビ

 宇宙関係のソフトウェア・出版などのアストロアーツから、ニンテンドーDSソフト『星空ナビ』が出るそうです。「DS方位センサーカード」というものが、DS本体の角度や方位を割り出し、本体を向けた方向の星空が画面に映し出されるそうです。iPhoneやiPodTouch向けにも『iステラ』という同じようなソフトも同社から出されていますが、発想が面白く、こんなものも出来るのだと感心してしまいます。

天空の秘境

 昨日テレビ東京で放映されていた、『世界秘境全集』からの「ヒマラヤ天空の秘境ラダック」を見ました。  インドの北西の奥の方にあるラダックやザンスカール。富士山よりも標高の高い場所に人々が住んでいたり、また人がどうやって食べ物を得ているのかすら分からないような、一見すると不毛の大地のような場所ですが、ここでもチベット仏教は生活と共に根付き、山肌にはお寺が建てられ、また東大寺の大仏よりも大きい(?)金色の弥勒菩薩が安置されていたりもしました。世界は狭くなったといわれますが、まだまだ知らないことはたくさんあるのだなと思います。  そんな“秘境”ですが、今では時間とお金があれば、比較的楽に行くことが出来るようですね。そんな場所を専門にしている旅行会社もありました。

春一番

 南風がとても強くなってきて、とても分かりやすい春一番になっています。気温も高くなり、ああ、春はこんな感じだったんだなと、風の音を聞きながら、いろいろ思い出します。

満月をすこし過ぎて

 冬の夜空は月が綺麗だったので、満月から満月まで写真を撮ろうとやっていましたが、ここ最近は天気が不安定になってきたようで、満月はすこし過ぎてしまいましたが、最後に綺麗な月を見ることが出来て幸せでした。  いつもこのブログは、Flickrに写真をアップロードしてBloggerへ投稿しているのですが、どうもうまくいかないことがあり、書いた内容が消えてしまったという経験を久しぶりに味わいました。使い勝手も含めてまた考えないといけないでしょうか…BloggerブログなのでやっぱりPicasaなのかなぁ。  消してしまった内容は、SkypeとGoogleEarthがバージョンアップしたことです。

月の光に惑わされて

 まだ2月だとは思えない日差しの暖かさ。北風が吹いていなければもう春なのかと思ってしまいます。あちらこちらの車の屋根には白い灰が積もったまま。 ここからは月の光にあてられた妄想です。  「世界に一つだけの花」という歌が、「オンリーワン」というフレーズとともに何年も前に流行り、この歌の歌詞について恐山院代の南氏が著書でも書かれていたのですが、先日テレビのスイッチを点けるとたまたまこの歌が流れていて、初めて歌詞をちゃんと見ました。  見ていて思ったのは(南氏の書かれた事とかぶる所があるかもしれませんが)、歌詞に書かれている「オンリーワン」と世間で使われていた(いる)「オンリーワン」には意味に温度差があり、世間で使われているのは、みんな違いがあるから個人をそれぞれ敬って大事にしようね、という意味が、個人自由奔放主義のようなものに偏って使われているのではないかということです。それぞれがオンリーワンを目指すなら、それぞれのオンリーワンというナンバーワンを目指すということでしょうか。そもそもオンリーワンとは?  努力してナンバーワンを目指すということは私はいいことだと思いますし、そうしないと人類の発展も無いような気がします。問題なのはそのナンバーワンを目指す方法であり、ひとりひとりが尊敬し合うというオンリーワンとは別の問題であることを、一緒にしてしまっているのではないかと思います。  ただオンリーワンが“もともと特別”だというのは人が勝手に与えた価値観であり、人間としてのおごり、執着の心があるのではないかとも私は思います。花が綺麗かどうかを判断する価値基準は人間が勝手に決めたものだから。

昭和の名僧

 「昭和の名僧」というCDを借りてきました。全十二枚のうち借りることができたのは五枚で、そのうちこれだけはと思っていたのは、奈良・薬師寺で修学旅行生などに説法なさっていたという高田好胤氏の師(?)でいらっしゃる橋本凝胤氏の語る一枚。  橋本氏のことは高田氏の著書に書かれていたので、どんな方なのかずっと興味を持っていました。肉食妻帯はせず厳格に戒律を守られていたそうで、戦後の悲惨な状況の中でも『正しい仏道に身を捧げ、それで食わせてもらえることができなければ、死ねばいいじゃないか』とおっしゃっていたというエピソードがあり、それが鮮烈な印象として記憶に残っています。  昭和の名僧と呼ばれる方々の言葉をじっくり肝に銘じるように拝聴していきたいと思います。  そして今、現代の平成の名僧と呼ばれる方々にはどのような方がいらっしゃるのだろうか、また生まれるのだろうかと思います。インドで人々のために奮闘なさっておられる佐々井秀嶺氏は必ずその一人に入ると思っていますが。

節分

 春霞のような、浅間山からの火山灰が漂っているような、どちらにしても確実に春に近づいているのを感じるこの頃の気候。海ももう“春の嵐”なのですか?  DAYS JAPANのブログを見ていると、編集長でカメラマン・ジャーナリストの広河隆一氏がガザへ現地入りしているそうで、日本で報道される頻度は低くなっていますが、現地の状況はとても酷いようで、“停戦ではない”と広河氏は書かれています。  そして一方で、ユダヤの人たちも年末から続いているこの大量殺戮には全く黙っているわけではなく、抗議行動を起こしている人たちもいるということを付け加えておかなければならないと思います。

 浅間山が噴火して灰が流れてきたようです。ここには2004年の9月17日にも灰が飛んできました。万が一富士山が噴火するようなことがあると、西風に乗ってどれだけ灰が積もるのやら…。  どこかの国では、チベット弾圧キャンペーンが行なわれているそうで、またその国ではアメリカの大統領の就任演説も、都合の悪い箇所は削って国民に流布しているなんていうこともいまだにやっているそうで、政府はいつまでこんなことを続けていられるのか、自分の首を絞めるようなことをしているようにしか私には思えないのですが。

ようこそピアノ!

 リサイクルセンター経由で電子ピアノがやって来ました。  ちょっと古くて不具合もありますが、とってもリーズナブルで、どうやら当時の値段からするとロハ同然のよう?です。  電子“ピアノ”なのでちゃんとした綺麗なピアノの音が鳴り、ヘッドフォンも使えるので近所迷惑にならなくて安心です。ちゃんと曲が弾けるようになっている姿は全く想像できませんが、ポロポロ弾いているだけでもいいんです。