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10月, 2011の投稿を表示しています

八ヶ岳高原牧場からの八ヶ岳

八ヶ岳高原牧場のあたりはハイキングコースになっていて、ある風景を探しに行きました。 ↓これです、これ。この景色が見たくてここまで歩いてきました。八ヶ岳の右側は赤岳などで左側は権現岳など。 南の方には富士山がずっと見えていました。南アルプスも見えていました。 パノラマを動画にしてみましたが…こんな感じです。  春先とか夏とか冬とか、一年中綺麗なんだろうな。

秋の清里

 平沢峠(野辺山)から清里へ下ってきて、まず向かったのは東沢大橋からの八ヶ岳です。  橋の下には渓谷がありますが、大雨でいろんなところが崩落したりして通行止めになっている箇所があるそうです。今年の大雨や台風はいろんなところで被害が出ているみたいですね。  清泉寮の下のお店。ここで食事と恒例のソフトクリームを。清泉寮といったらソフトクリームです! お店の中はもうストーブが入っていました。  まきば公園にいたひつじ。遠くから見るとかわいいけど、近くで見るとビー玉のような目がコワイ。

八ヶ岳の大パノラマ! 平沢峠/獅子岩

 八ヶ岳の大パノラマが広がる平沢峠です。駐車場からの眺めでも十分すぎるほどですが、売店の奥にある獅子岩からの眺めもお勧めです(足元が悪いので、また風も強いのでお気を付けください)。 向かって左から北岳・甲斐駒ケ岳の南アルプス、そして正面には八ヶ岳が南から北まで、そして右の後ろの方には野辺山天文台のパラボラアンテナ。 今日は雲のない真っ青な空がどこまでも続いていました。紅葉はもう盛りを過ぎて茶色っぽくなっていました。

清里の秋

 秋の八ヶ岳、清里へ。  清里あたりの紅葉はもうだいぶ終わっているようでした。写真は吐龍の滝にて。紅葉に光も入って、今日見たうちではここが一番綺麗でした。  詳しくは後日アップします。

三峯神社(続き)

三峯神社には小さなお社がずらっと並んでいる場所があり、それぞれに何とか神社、何とか神社と書かれた木札が掛けられていました。 神社の境内には、狛犬さんのように山犬さまがたくさん安置されています。狛犬さんのように阿吽の表情をしていました。たくましい体、厳しい表情でお山を守ってくれているんですね。  三峯神社への林道(大陽寺方面)はほとんど霧で覆われ、道路とその周辺しか見えない状況で、そこへ突然現われた、ぽっかりと口を開けるトンネルの入り口。まっくらな産道に似たトンネルを走り続ける、遠くにはぼんやりと明るい出口が見え、走ってきた道をバックミラーで確認しても、鏡には暗闇が広がり、もう後戻りはできず、輪郭のぼやけた光を求めて先へ進むだけ。やはりここでも胎内巡りをしたような気になりました。

中有

金魚は死んでしまったのに、これまで培ってきた習慣を続けようとして、現実を突きつけられたときがとてもさみしい。 夕方は色の濃い夕焼けになり、雲の向こうの月が秋の夜空を照らしています。 ここ最近『ゲルク派版 チベット死者の書』を読んでいます。『死者の書』は一時期流行ったそうですが、そちらは“ニンマ派版”のものだそうで、今読んでいるのはダライ・ラマ法王の“ゲルク派版”です。死者の書とは書かれていますが、生きるための書物です。

秋の風景

今日は気温が高く、10月も下旬になろうというのに半袖で過ごしていますが、ひさしぶりに裏の公園に行ったら、さすがにもう秋の景色になっていました。ただ、セミが鳴いていたのを除いては。 イチョウは黄色に紅葉していますが、街路樹のケヤキは、水分がなくなって枯れてしまったかのように土気色になった葉が残り、また過日の台風で折れたであろう同じく土気色の葉をつけた枝がぶらさがり、地面のコンクリートも土気色に染まっています。今年のケヤキの落葉は「土気色」の言葉がしっくりくる。 空地が整備(?)されて池が出来ていました。ガマも植えられていて、人間が手を入れなくてもトンボがたくさんすめるような場所になってくれるといいですね。 ベランダにあるツマグロヒョウモンのサナギです。とげとげのいくつかは銀色に光っています。2週間くらいで羽化するらしいのですが、成虫で冬を越すのだろうか。  10年くらい飼っていた金魚が死んでしまいました。ちょっと前から元気がなさそうで、朝までは餌を食べていましたが、夜には死んでしまっていました。ひとつの時代が終わったような気がしています。

奈良田の里と富士山

 赤沢宿と七面山から北へ、谷間の道を車で走っていきます。途中、山の斜面が崩れて橋や道が埋まっている所もありました。  そして小一時間走って着いた奈良田の里。 この辺りは温泉が多いようで、この奈良田にも温泉があります。孝謙天皇がここへ湯治に訪れ(758年)、8年ほど滞在されたという歴史があるそうです。(ちょっと記憶が曖昧ですが)その孝謙天皇を祭った奈良王神社があります。  またここでは焼畑が行われていたそうで、集落からは離れた場所で作業を行うため家に帰ることは出来ず、木を取ってきて作業小屋を建て、そこで寝泊りしながら農作業を行っていたそうです。資料館には復元された小屋がありましたが、ただ寝るだけくらいの小屋で、農作業は本当に大変だったんだなと思います。資料館の資料をいろいろと見ていて、こういう生活があったことを初めて知りました。 館内には大きく引き伸ばされた写真が展示され、真冬の雪山からの風景など一生肉眼では見ることのないであろう写真の数々をしばし堪能しました。木の床が良かったです。  奈良田の里をあとにして、これから富士山を目指します。来た道を引き返して、富士川を渡り、下部温泉を通って、本栖みちを東へ。木喰上人の生まれた里を過ぎ、峠を越え山を越え、展望台を過ぎた先にあるトンネルをくぐり抜けると、今日もありました、本栖湖と富士山。何だかんだ言っても、やっぱり富士山が見えると「おおっ」と声を出したくなります。  渋滞になる前にと、ここからさらに東へ、河口湖、山中湖、と走りましたが、途中ずっと雲が空を覆ってしまい、富士山が見えたのは本栖湖が最初で最後になりました。  山中湖からは須走りへ。とりあえずは新しく出来た道の駅へ。自衛隊グッズなども販売されていました。天気が良ければ須走口5合目まで行って星を見たいと思っていましたが、日が陰って暗くなってもどうも晴れる気配はなく、今日は諦めることにしました。高速道路は混みそうだったので、帰りはいつもの道志みちを通って帰宅。思ったよりも早く家に着きました(暗い道志みちはあまり車も走っていませんでしたが、連休の初日、中央自動車道は混んでいたのでしょうか)。

信仰の残るお山

秋の気配の迫る10月初旬、山梨県の早川にある赤沢宿を訪ねました。 日蓮宗の総本山である身延山久遠寺。久遠寺はしだれ桜でとても有名なお寺ですが、赤沢宿はそのお山のちょうど裏側(西側)の、山と山との谷間にある集落です。かつては、身延山にお参りをし、山を越えてこの赤沢宿へ泊まり、今はお萬の方の像がある白糸の滝で身を清め、そして久遠寺と同じく大切な霊山である七面山へ登詣される方が大勢いらっしゃったそうです。 赤沢宿で車を降りると、遠くの方から人の声が響いてきました。七面山へ登詣される方々は太鼓も叩くのかな?と勝手に想像していたので、最初は近所の家から流れてくる声なのか、山仕事をされている方の声なのか、また「懺悔懺悔六根清浄~」なのかなと思っていましたが、そのうち耳が慣れてくると「南無妙法蓮華経~」のお題目に聞こえてきました。 赤沢宿は今でもこのように風情のある街並みが残っています。「な~むみょうほうれ~んげ~きょう~」の声を耳にしながら坂道を歩いていると、往時の賑わいが偲ばれます。またこんな信仰が今でも残っていることに、短い人の生を生きていく上でのヒントを与えられたような気がします。 赤沢宿。急な坂道に家々が立ち並んでいます。かつては多くの宿が営業されていたようですが、今は一軒の宿だけになってしまったそうです。 赤沢宿から少し離れたところにある白糸の滝(雌滝)とお萬の方の像。像は七面山の方を向いて立っています。徳川家康の側室だったお萬の方は、この滝で身を清められ、女人禁制だった七面山に女性として初めて登られたそうです。 石碑に書かれている文字は『南無妙法蓮華経』です。 滝壷に下りていくと、滝の水の勢いは強く、水しぶきが風と一緒に吹いてきました。 白糸の滝(雌滝)を川に沿って少し歩いていくと雄滝弁天堂があります。ここにも滝があり滝行も行われているようです。とても綺麗な滝でした。 雄滝弁天堂の方から見た羽衣橋。橋のちょうど右側に白糸の滝(雌滝)があります。川岸はどうやら大雨で(?)えぐられているようでした。 七面山への入口です。山頂にはお寺と泊まるところがあります。片道4~5時間が目安だとのことです。頂上からは富士山が見え、春分と秋分の中日にはちょうど富士山の山頂と太陽が重なるそうです。 今日は白糸の滝に白装束の20~30人の方々がいらっしゃり、そ