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1月, 2014の投稿を表示しています

冬の日

 まだまだ寒い日が続くが、春を感じたのは1週間以上前。正確には16日の木曜日あたり。日差しでそう感じたのか、駅の壁一面に貼られた河津桜のピンク色のポスターでそう感じたのか。  18日には人間椅子の“猟奇の果”ライブに行く。会場は以前より倍近く広くなったがそれでも満員の客。25周年経っても衰えることを知らないばかりか、天を突き破る階段を登り続けているバンド。今年はこのライブのDVD化、次のライブ、新譜ととても楽しみだ。  昨日は車に置いてある恐山の交通安全ステッカーを見て、下北半島に行ったのは3ヶ月前だったのかと思い出す。人間椅子のおかげで青森との距離が近くなったといっても過言ではない。  今日は古書店の閉店セールで、アラーキーやMagnumの掘り出し物の写真集を買う。仏教書と写真集にいいものが入荷する店だったので、閉店してしまうのはとても残念だ。  坂道を歩くと汗ばむ陽気だったが、夕方から東の風、北の風に変わり、空を覆っていた雲もちりぢりに吹き去り、気温もぐっと下がってきた。

フィギュアの撮影

 鏡音レンくんをもらったまま、ちゃんと写真を撮っていなかったので思いつきで撮影。リンちゃんも。背景は前回同様に自然の空で、リンちゃんは夕方に撮ったので雰囲気のある写真になったかな。  人形の写真を撮るのはやっぱり難しいですね。ちょっとの角度で目線があっていたり外れていたり。 『♪…さぁ~~~!』 『ほら、はやく行こうよ!』 …というシチュエーションで。

雪の国への旅(余話)

“ほたるまんじゅう”の話 群馬県と新潟県の県境にそびえる谷川岳連峰。岩登りのメッカとして有名な一ノ倉沢を抱えるこの山々は、標高は2000m級とそれほど高くはないものの、その位置する気象条件などから、3000m急の山々に匹敵するものとして知られる。昔から数多くの遭難者が出ており、魔の山ともいわれることがあり、殉難の碑も建てられている。  今回の旅の帰路も、この谷川岳の真下に掘られた清水トンネルを通るわけだが、暗いトンネルの中を揺られ、ごおという電車の音を耳にしているうち、旅の疲れを感じているつもりはなかったが、うつらうつらと夢うつつになっていた。  上り方面の清水トンネルは10分も経たないうちに外へ出るのだが、その短い時間のうちに、急に脳裏に“ほたるまんじゅう”という言葉が浮かんできた。清水トンネルを抜けると、電車は土合駅、湯檜曽(ゆびそ)駅、水上駅と停車し、水上駅で高崎行きの電車に乗り換える。  自宅に戻り、“ほたるまんじゅう”とは一体何なのだろうと検索してみると、ホタルで有名な辰野(長野県)では、お土産として売っているようだが、ここのまんじゅうはアンパンのような外観で、頭に浮かんだものとは少し違っていた。  谷川や水上と関係のある“ほたるまんじゅう”もあるのだろうかとさらに調べてみると、水上駅の一つ先、湯檜曽駅の近くに“ほたるまんじゅう”を売っているところがあるようだ。こちらのまんじゅうは想像していたものに近い外観の写真が載っていた。  今回の旅のどこかで“ほたるまんじゅう”の文字を目にした記憶はなく、またそんな饅頭があるのか、存在すら意識したことのない“ほたるまんじゅう”。  清水トンネルの中で体験した、この白昼夢のようなものは何だったのだろうか。

雪の国への旅(3日目)

雪の国への旅 再び北を目指して カーテン開けると、夜明け前の白い北アルプスが見えた。山の端は薄紫色に縁取られている。昨晩買った手作りのパンを口に押し込み、牛乳をひとくち、ふたくち。山の頂は徐々に朝日に照らされ、輝いてくる。  ホテルを出ると、冷たい朝の空気に身が引き締まる。駅にはさすがに人も少ない。  昨晩やっと決めた行程は、この松本から再び北を目指し、新潟から国境の長い清水トンネルをもう一度抜け、まる一日かけて家まで帰るというもの。  これから乗り込む篠ノ井線を待つ反対側には、甲府へ向かうあずさが止まっている。幾人かの乗客を乗せ、8時少し前に走り去っていった。  松本から長野までは昨日と同じ行程だが、時間が早く感じられる。姨捨駅でも停車時間はあまりなかった。風景をゆっくり見ることの出来た昨日は幸運だったのかもしれない。 長野駅 長野駅に着いた。次の電車までにはしばらく時間があるので、駅弁を探しに改札を出る。売店はやっているが、お土産が中心で弁当は見当たらない。駅から外に出てみるが、あたり一帯は工事用の壁で囲まれ、しかもまだ時間が早いため店もほとんどやっていなかった。どうりで構内のコーヒー店のレジに行列が出来ていたわけだ。  再び改札の中に入り売店を探すと、ちょうど店頭で駅弁を並べているところだった。彩りのきれいなものを買い求めプラットフォームに下りると、すでにたくさんの人が並んでいた。 飯山線 飯山線は長野駅を発車し、千曲川の流れにそって走っていく。乗客は多く通勤電車のようだ。川の側をずっと走る電車に乗った経験は、これまでなかったかもしれない。  途中の駅で車両が切り離され、そこから先は1両での運転になる。  春に星峠などの棚田を見に訪れた松代を通り、十日町駅に着く。ここで電車を乗り換えるものだと思っていたが、今乗っている電車がそのまま走っていくようだ。待ち時間が50分ほどあるので、車内で駅弁を広げる。プラットフォームには雪が積もっており、空気が冷たく、暖房で温まりすぎた体にはちょうどよかった。  発車の時間が迫ってくると、これまでの待ち時間がとても短かったように感じられる。電車はここから越後川口駅へ向かう。  単線のおだやかな風景のなかを進み、いくつかトンネルを抜け、橋を渡る。着いた駅で電車を降り、線路をくぐって反対側のプラ

雪の国への旅(2日目)

雪国への旅 柏崎の朝 夢の中で夢を見ていた。寝苦しい夜が明け、部屋のカーテンを開けると、柏崎の街は白く雪に覆われていた。  米山も見えていたが、出発の支度をしているうちに、雪―もしくはあられだろうか―が降り、近くの町並みさえ霞んで消えてしまった。  昨晩買っていたパンを頬張り、急ぎチェックアウトを済ませる。駅はホテルの目の前にあるが、アスファルトにうっすらと積もった雪に足をとられそうになる。 日本海を走る 風の影響で電車は少し遅れていたが、駅のプラットフォームで冷たい風に吹かれながら待っていると、やがて顔に雪をかぶった車両がやってきた。  電車に乗り込み、足元のヒーターの暖かさを感じながら、車窓を流れる、昨日より穏やかな海を眺めていた。佐渡は今日もなかった。波打ち際に打ち寄せる波のしぶきが、もやのようにわき上がっていた。  雪はもうやんだかに思っていたが、少し内陸を走っていると思ううちに、窓の外は白くなり、止まった駅には雪が積もっていた、何時間も電車に乗っている訳ではないのに、天候は次々に変わっていく。  再び遠目がちに海が見えるようになり、開けた空の向こうに白い山が見えてきた。北アルプスの北の端に当たるのだろうか、それとも富山の山なのだろうか。川を渡ると直江津の駅に着いた。  次は長野駅に向かってここで乗り換える。私の乗る電車はプラットフォームの反対側に待っていたが、駆けるようにして階段を上っていく人達もいた。 日本海から内陸へ 直江津駅から信越線に乗り南に向かうと、風景はがらりと変わった。空はすっきりと晴れ渡り、さわやかな朝日の光が降り注ぐ。照らされた雪の形から、このあたりにはおそらく田園風景が広がっているのだろう。  車窓の右手には、雪に覆われた高い山―おそらく妙高山だろう―が聳えている。電車がぐるりと大きなカーブをまわると、走ってきた2本のレールが見えるが、ほとんどが雪に覆われた銀世界の風景が広がっていた。  黒姫高原、野尻湖、戸隠、名前だけ知ってはいるが、どんな土地なのだろうか。一度訪れてみたいものだ。 峠を越える 人家や工場とおぼしき建物が多くなってきたと思っていると、まもなく長野駅に着いた。ここで篠ノ井線に乗り換え松本に向かう。時間はちょうどお昼前。駅そばを手にし、まだ止まっている車内で食べている人達がいた。だし

雪の国への旅(1日目)

雪の国への旅 1日目:2013年12月28日 旅の始まり 『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。』  誰もが知っている川端康成の「雪国」の始まりの一節だが、高校生の頃にこの小説に出逢い、温暖な気候の土地で育った私にとって、この雪国はずっとあこがれの存在であり続けていた。  いつか、トンネルを抜けた先にある雪国を見てみたいと思っていたが、それから幾年月が流れたことだろう。いつしか冬の日本海を見たいという気持ちも生まれ、この年の暮に、青春18切符を手に新潟へ鉄道の旅に出ることにした。 青空の広がる関東平野 本州の日本海側は荒れた天気となっており、鉄道の運行に支障はないのか若干の不安が頭をよぎるが、そんな不安よそに、関東平野には青空がどこまでも広がっていた。  電車は新宿駅を滑り出し、北へと向かう。秩父や群馬北部の山々が見えてくるにしたがって、空にも少しずつ雲が浮かび出した。車窓の右手前方には赤城山が見えてきた。 国境の長いトンネル 高崎駅を発車ししばらくすると、左手の車窓には榛名山と、遠く白く霞んだ草津方面の山が見えてきた。水上駅に近づくにつれ、田んぼには溶け残ったなごり雪のようなものが見られるようになり、前方には谷川岳などの国境にある山々が現れ、それらはどれも雪に覆われ白く輝いていた。  水上駅に着くと駅舎と線路は雪に覆われていた。帰省やスキー客の人々だろうか、多くの乗客とともに連絡橋を渡り、長岡行きの電車に乗り換える。水上は谷川岳の麓にあるひらけた温泉街だが、ほとんどの乗客は下りることなく、このまま雪国へ向かうようだった。  高崎駅へ戻る電車には乗客の影はまばらで、電車が走り去った後のプラットフォームを歩く男女の姿が印象的だった。 雪国 トンネルを越えると、そこは確かに雪国だった。  群馬県と新潟県の県境に聳え立つ谷川岳。その山々の下に掘られた清水トンネルを電車は走り続ける。電車のごうという音にかき消されがちな乗客の話し声を耳に、このトンネルはいつ終わるのだろうと思っていると、電車の音がふいに軽くなり、車窓には一気に真白い世界が広がった。山をひとつ越えただけでこんなにも世界が違うものだろうか。  それから電車は幾つかのスキー場を辿りながら北を目指す。途中の駅で乗ってきた地元の学生の帰省ラッシュという言葉が新鮮に聞こえる。雪

氷川丸

 横浜の山下公園に係留されている氷川丸。1930年に日本とアメリカのシアトルとを結ぶ貨客船として建造されたそうです。戦時中は病院船となり、戦後ふたたびシアトル航路へ復帰、1960年に引退をしたそうです。  一等の客室や食堂の内装はとても豪華で、またアール・デコ様式のようなとてもおしゃれな、古きよき時代を彷彿とさせるものでした。 たくさんの人々が見学に訪れていました。 一等食堂にて。 一等食堂の天井。 一等食堂。 一等食堂から上のデッキに続く階段。 一等社交室の壁と天井。 一等社交室外の通路。 一等喫茶室にて。 一等喫茶室の天井。 一等客室の寝室。 一等客室の居間(?)。 屋外デッキから眺めるみなとみらい。 オープンデッキから(普段は解放されていないそうです)。奥が船首方向。 操舵室(?)にて。 操舵室(?)にて。 機関室にて。 黄昏時の氷川丸。 往時の人々の話し声や汽笛が聞こえるようでした。

海風に吹かれて

 冬は空気が澄み、海もきれいだ。  海からは潮風が吹き、陸からの風に乗って砂が地面を駆けていた。  九十九里浜にて。  手作りのステンドグラスに灯りがともる。  年末に訪れた江ノ島で、太陽の傾きかけた午後、太平洋とヨットの集まりを眺めていた。ユーミンの『海を見ていた午後』の歌は、私の中ではこんなイメージだ。たとえ、東京湾ではなく太平洋でも、貨物船ではなくヨットでも、カモメではなくトンビであったとしても。