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6月, 2009の投稿を表示しています

写真と絵画

 先日“ねむの木こども美術館”へ絵を見に行き、改めて思ったことは、例えばある風景を写真と絵画で表現しようとして、片方は何百万円もする機材を使って撮ったとしても、もう一方のたった一本のちびけた鉛筆で描いたものの方が強く印象に残り、その風景がより深く表現されているように思えるかもしれないということです。  そもそも写真と絵画を比べることがナンセンスだとは思いますが、共に視覚へ訴えかける表現手法として、写真の立場とは一体何なのかと思います。ある写真に対して、見る方・見せる方お互いに何らかの共通の土台がなければ、何も共感を得ることは出来ず、単なる自己満足になるのだろうと、自戒を込めて思います。

梅雨の合間に

 公園に蝶を見に行きました。一匹のベニシジミがするっと飛んできて、近寄っても逃げなかったので、カメラのレンズをぐっと近づけて写真を撮りました。写真を撮ったカメラは広角レンズなので、数cmまで近づいたマクロ撮影でも、一部分だけクローズアップされることはなく、こんな感じで写ります。  後から横から前から上から動画もといろいろ撮りましたが、飛んで逃げることもなく(湿気で羽が濡れていたから?)、こちらの方からおいとましました。  場所を変えて蝶を探していましたが、雨が急に降り出したので今日はこれまで。いま持っているカメラは防水機能など付いていませんが、天気の悪い時こそ写真を撮りたくなるので、こんな日は防塵・防滴のカメラが欲しくなってしまいます。  今日はツマグロヒョウモンは見かけませんでしたね。

御前崎へ

 “ねむの木こども美術館”から海へ向かって南下。御前崎灯台を目指します。  御前崎灯台の手前に駐車場があり、防波堤から海へ下りられそうだったので寄ってみました。  久しぶりに砂浜を歩いていると、貝殻や海藻が打ち上げられていてタカラガイを探して拾いました。今日は日本のいろいろな場所で真夏日になったようですが、潮風にずっと当たっているとさすがに体は冷えてきました。 (サーフィンの大会をやっているようで、家に帰ってからインターネットで調べてみると“ジャパンプロサーフィンツアー2009ロングボード第2戦”という大会が開催されていたそうです。)  太陽が沈みかけたころようやく御前崎の展望台へ行くと、灯台は明かりを灯しちゃんと動いていて、また灯台そのものもライトアップされていました。すぐ脇の展望台からは太平洋がぐるっと見渡せ、眺望の良い場所でした。薄暗くなっていましたが、海の色も綺麗でした。  この辺りの海岸へは、ウミガメが産卵に来るそうです。

“ねむの木こども美術館”へ

 静岡県掛川市にある“ねむの木こども美術館”へ。東名自動車道は途中、事故で渋滞していましたが、そこを抜けると車は流れていました。晴れてはいましたが富士山はあまり見えず、足柄SAで見たのが最後になってしまいました。(写真中央の左下)  静岡県の掛川I.C.で高速道路を降り、掛川城の天守閣を見ながら北へ進みます。途中少し狭い道を通って行くと(他にも行き方はあるようですが)、道路の両側の壁がタイルで飾られた“ねむの木学園”への入口が見えてきます。  道なりにしばらく走って行くと、山の斜面にそって建てられた“ねむの木こども美術館「どんぐり」”の特徴的な建物が見えてきました。ここは鳥の声と川の音だけが聞こえるとても穏やかな場所で、郵便配達員の赤いバイクが通り過ぎる姿は、映画やアニメの1シーンを想像させます。  美術館の建物の中は床から壁から天上から一面真っ白で、目が慣れるまで少し時間がかかりましたが、日常世界と切り離されたようなとても不思議な空間でした。  壁にはたくさんの作品が展示され、見ていてどれもいいなと感じるものばかりでした。この絵を描いた方たちは皆さん身体に障害をお持ちで、描くのが困難な方もいらっしゃるのでしょうが、それだからどうということは全く関係なく、それぞれが素晴しいアーティストだと思います。  こういう絵には全く興味が無い人もいると思いますが、ぜひ一度じっくり鑑賞してみることをお勧めします。いろいろと見ていて『自分はこういう色も好きなんだな』と気付かされる絵もありました。大きな作品が多いのが印象的でした。  美術館は2階からずっと見て行き、斜面の上にある扉から出てきます。草原の庭をぐるっと歩いて1階へ降りて行くと、途中柿の実が出来始めていたり、ネジバナが綺麗に咲いていました。建物の白い壁に描かれた花の絵が可愛いですね。  “どんぐり”の少し先にもうひとつのガラス張りの美術館“「ねむの木緑の中」”はあります。こちらにもたくさんの作品が展示されていて、とても充実した時間を過ごしました。

インドへ

 日本を訪れていた(44年ぶりに帰国されていた)インド仏教徒の先頭に立っておられる佐々井秀嶺師がインドへ、佐々井師を真に必要とされている方々の待つインドへ帰国されたそうです。もう二度と日本の地を踏むことはないでしょうから、とても寂しく思います。  『ブッダンサラナンガッチャーミ・・・』護国寺で聞いた佐々木師の声は今でも身体の中で響いています。  本日は沖縄の“慰霊の日”。本を読み写真や絵画を見てひめゆりの塔などの戦跡へも行き、私にとっても忘れられない日になっています。太平洋の島々での戦闘はどこでもそうだったのでしょうが、南国の海の青さを美しいと思う心と、人間同士の醜い争いを思うとき、その両者のあまりにも大きな隔たりに愕然とします。

梅雨

 湿度をいっぱいに含んだ風が吹き、湿った空気が肌にまとわりつきます。雲の間に見える暗い空間が美しい。  明日は沖縄“慰霊の日”。先日も憲法9条を変えて云々という政党のビラが入っていましたが、戦争の現実をもう少し明らかに見るべきだと思います。誰か他人の話ではなく、おそらく自分とその周りの人間が犠牲になるのでしょうから。  この日の沖縄はいつも晴れているような気がしていますが、明日も晴れるようですね。

アラカン

 アラサー、アラフォーという言葉を使っているのは知っていましたが、“アラカン”という言葉は最近になって知りました。何のことだか分かりませんでしたが、還暦前後の“アラウンド還暦”のことだそうですね。  私が“アラカン”と聞いてすぐに思い浮かべていたのは、“阿羅漢”、五百羅漢や十六羅漢の“羅漢”のことで、哄笑している石仏がお寺の庭に安置してあったりしますが、この言葉は上座部仏教ですぐれた人を表す尊称のことだったと思います(正しい言葉の使い方ではないかもしれません)。  人間が還暦まで生きることが出来れば、ただそれだけで(望めば)どんな人でも阿羅漢になれるのならば、世界はもっと違ったステキなものになるのかもしれませんが、なかなかそうはいきませんね。  しっとりと雨の降る美しい夏至の夜に。

夏へ

 日差しは強く、街は熱せられた空気で満たされていましたが、その空気を切り裂くように、ひんやりとした風が吹き抜けてゆきました。  だが、しかしそれも一時のことで、その鋭い傷を覆い隠すように、生暖かい空気がまわりから包み込んでゆきました。  明日は夏至。

雨の夜

 夜になり、『ぽつぽつ』と雨の音が聞こえ始めたかと思うと、急に『ざあぁー』っと激しく降り始め、車の音や世間の音が静かになりました。いつもと変わらない部屋の中ですが、小説の中の一場面のような気持ちになります。そして冒険王・横尾忠則展で見た「秘花」のモノクロの挿絵を思い出しました。この挿絵たちが画集で出ていると嬉しいのですが…。

丸木美術館 再訪

 『原爆の図』のある“丸木美術館”。本日から『大道あや・丸木スマ展』が開催され、『原爆の図』と共に拝観に行きました。前回は原爆の図をメインに訪れましたが、その際開催されていた丸木スマさんの絵が良かったので、今日も楽しみでした。  原爆の図は今までに何回見たでしょうか。天安門事件の絵を見た後に原爆の図の部屋へ入ると、数年振りに見るこれらの屏風絵ですが、部屋の中を見回した瞬間からいろいろなことを思い出し、また考えます。今日は、見ているつもりで見えていなかった、絵の細部がよく見えてきました。別の部屋に展示されている三里塚やアウシュビッツや水俣の図も同じように。  原爆の図のほとんどは人間が生み出したこの世の地獄しか描かれていませんが、原爆の爆風や熱線そして炎に巻かれ姿形の変わってしまった人たちの、今生きている人間と同じ人たちの、すらりと伸びた手が美しい、美しいものだと、今日は思えました。  『大道あや・丸木スマ展』もとても良かったです。スマさんのカッパや猫の絵など、余計なものにとらわれる事の無いような絵がいいです。入口近くのセミが上手いなあと思いました。もちろんその他の絵もいいです。大道あやさんの絵をちゃんと見たのは始めてかもしれませんが、とても楽しい、明るい絵だと思いました。絵本にもたくさん絵を描かれていて、また行ってじっくり見たくなるような展覧会でした。  美術館の中には丸木位理・俊氏のアトリエがあり、そこへ上がることが出来ますので、今回もまたお邪魔しました。少し急な階段を上がって行き畳敷きのお部屋へ。広くとられた窓からは草木の緑と川の流れが見え、鳥の声と共に水の流れる音も聞こえてきます。木々の間には蝶が飛び交っていました。優しい時間の流れているような、懐かしい気持ちを思い出す、とても落ち着く部屋です。  窓際のテーブルにはここを訪れた方たちの描いた絵や文章がありました。丸木先生の遺品が置かれたままになっている机の、その上の方に掛けられていた額縁には『善応諸方所』と書かれた書があり、これは観音経からのものだと思いますが、先ほど行った観音霊場のお寺がふっと思い出されました。  畳の上で丸木位理・俊氏の描かれた絵本などを読んでいると、神社やお寺に関係のある話など、日本人が長い間大切にしてきたであろうものも多く取り入れられ、近代化(西洋化?)で失われてしまったものを、この部

坂東観音霊場札所:吉見観音(11番)

 埼玉県にある『丸木美術館』への道のりを地図で確認していると、近くに坂東観音霊場の札所を見付けたので、お参りに行きました。  札所の駐車場へ車を停めると、昨年末に行った秩父札所の雰囲気を思い出します。白装束に菅笠の巡礼の格好をされている方も見かけました。大きな赤い仁王像の立つ山門をくぐるとお堂の方から尺八の旋律が流れてきます。秩父でも同じような光景に出会いましたが、今回はどなたが演奏されているのか最後まで姿を拝見することはありませんでした。  そして本堂で読経をしていると、隣に来たおばあさんが敷物を広げその上に座り読経なさっていました。  境内は綺麗に掃除され、本堂の横には立派な三重塔がありました。他のお寺と同じように石仏も安置され、大きな仏様も座っていらっしゃいましたが、今日は石の塔の台座(?)に彫られている漢字がとても気になります。奉納された方々の名前なのだろうと近付いて見ていたら、どうやらそうではなく、お経のようでした。何のお経か分かりませんが、いろいろと、見たことのあるような漢字が並びます。  帰りに山門の横を見てみると、赤鬼と青鬼(?)が屋根をささえているようでした。

希望

 佐々井秀嶺師の一時帰国にあわせて各地で行なわれている講演会。本日は東京護国寺にて、お話を聞きに行きました。日本にいながら、師の堂内を突き破るような声で『ブッダン・サラナン・ガッチャーミ…』とお唱えする姿を拝見できるとは全く思っていませんでした。いつかテレビで見たインドでの改宗式そのままのお姿でした。  そしてもうすぐ佐々井師は、何千万、何億といわれる、師を本当に必要としている人々の待つインドへお戻りになられます。お話の中で、インドへ帰ればもうその土地を離れることは無いとおっしゃっていたので、佐々井師に直接お会いできるのは、やはりこれが最初で最後になるのだろうと思います。  身体もボロボロで、何度も死にかけているということを聞くと、とても心配になってしまいますが、どうぞいつまでもお元気で、不当に人権を蹂躙されている多くの人々の希望でいて下さい。

 今年も蛍を見にゆきました。人の列が途切れると、その途端にさっと静寂が訪れ、その合間を見計らって蛍たちはぱっと飛び立っているような、そんな勝手な想像をしてしまいます(実際はそんなことないんですけどね)。  田んぼには蛙の声が響きわたり、空にはまどかな明るい月。

ガとカミキリ

 郵便ポストの壁に居ついて、3日もその場を離れようとしないかのような薄茶色のカミキリムシとクリーム色のガ。日中は他の場所にいて、夜だけそこへ帰ってきているような、一体何をしたいのか、不思議な虫たちです。

コ蝶ラン

 冬越しは特に暖房も無い部屋で、人間と同じように生活をしていた、白い花のコチョウランは、お店で買ったときよりもたくさんの、そしてこの株にしては大きいと思う花を咲かせています。  さすがにもう枯れてきたので、花茎を切って、株に養生してもらおうと思います。

月の夜の6月

 久しぶりに見た月。月を周っている日本の衛星「かぐや」は、6月11日には月面に落下させるそうで、もっと長い間飛んでいるものだと勝手に想像していたので、ちょっと残念な気がします。  紫陽花が咲き、そろそろホタルが飛ぶ季節です。今年はまだあまり気温が高くない気がするのですが、いつ頃飛び始めるでしょうか。