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1月, 2009の投稿を表示しています

ジブリから『チベット死者の書』

 ジブリ学術ライブラリーから、『NHKスペシャル チベット死者の書』が発売になったそうです。予告編もありました。  DVD2枚組みで、内容は、ドキュメンタリーとドキュメンタリードラマ、そして特典映像としてダライ・ラマ法王へのインタビュー。 宮崎監督はこの番組を、 「もののけ姫」をつくりながら、仕事場の片隅で、何度も何度もくりかえし観ました。 そうです。 あの映画の背景として、こういうものも影響していたのですね。 クレジットの“語り”には緒方拳さんの名前も載っていました。

山吹

 戯曲『山吹』(泉鏡花)を読みました。「海神別荘」(岩波文庫)に収録されている作品で、『海神別荘』だけ読んでしばらく放っておかれていた本だったのですが、久しぶりに読んだ鏡花作品だったためなのか、『山吹』は短いけれどもとても面白い、やっぱり泉鏡花はいいなと思いました。話の最後には、雨でけぶるお縫さんと人形使の因果な後姿に思わず手を合わせ祈りたくなりました。また画家の苦悩に対しても。

昨日の続きと“アナログ”の文字

 昨日のカイラス山に関連して、日本人として始めてチベットへ入り、貴重な仏典を日本へ持ち帰ったという河口慧海氏の『チベット旅行記』はやっぱり読むべきかなと思いました(文庫で五巻ほど)。ただ100年以上も前の話で、日本とは気候も風土も風習も異なり、チベットに関する記述で必ずしも正しくない表現があるようなので、そこは気を付けないといけないと思います。現在でもチベットの仏教に対して“ラマ教”などという間違った言葉遣いをしている方もまだかなりいるようですし…。  話は変わって、昨日とても久しぶりにアニメの『サザエさん』を見ていると、画面の上下が黒くハイビジョン仕様(?)になっていて驚いたのと同時に、右上の“アナログ”の文字が際立っていたのに興醒めしました。デジタル放送まであと2年半?、民放でも表示されるようになった“アナログ”の文字は大きすぎる気がするのですが…。不公平のないように、デジタル放送には“デジタル”と出ているのでしょうか。  とこんなことを思いつつも、そもそもテレビはあまり見ません。

聖地カイラス山

 チベット仏教や他の宗教の聖地といわれている「カイラス山」という山があるそうで、その山の周りを巡礼したりするそうなのですが、いったいどんな山なのだろうと写真を見てみて驚きました。下の写真はFlickrから“kailash”で検索(もしくは“kailas”)して見付けた写真なのですが、この他にも綺麗な湖の向こうに見えたり、草原の向こうに見えたり、とにかく写真を見ただけでも何か特別な、まさに“聖地”と呼ばれるのにふさわしい様相を呈していました。  また聖なる山なので伝説以外で登った人はいないようです。そもそも登山は許可されないそうです。  場所はチベット、ネパールの北東の辺りです。

雨の夜に

 米国の新しい大統領が演説の中で、核の脅威を減らす努力を行なうとおっしゃっていて、それならば何よりも先ず、この夏には広島と長崎へ弔問に来てもらいたいと思います。  パレスチナ、ガザで亡くなった方々は1,300人を越え、そのうち子供は410人に上るという報告もありました(イスラエルで亡くなった方は18人)。現地の子供のインタビュー映像を見ていると、精神的にも肉体的にも追い込まれ、もう子供の顔ではなくなっていると感じます。今も世界中の紛争地ではこんな悲惨な光景が日常的になってしまっているのでしょうし、戦時中の日本ででもまた同じことだったのだろうと想像します。  この停戦がいつまで続くのか分かりませんが、双方の誠実な和平への努力を願いたいと思います。

ポラロイド風写真

 デジタルカメラで撮った写真を、ポラロイドで撮った写真のように加工してくれるPoladroidというアプリケーションを使ってみました。(『窓の杜』の記事)  アプリケーションを起動して現れるポラロイドカメラの上に、写真をドラッグドロップすると、カメラのシャッター音が鳴り、何も写っていない写真が出てきます。  そしてしばらく待っていると、じわじわ像が浮かび上がってくるというところまで、ポラロイド風にこだわっているもので、私のパソコンだとメモリもそこそこ消費するし時間もかかるのですが、その手間と時間が逆に魅力だったりします。  いろいろ試してみると、どうやら同じ写真でも色合いが異なったりするようです。  写真の蘭は、『今月のデンドロ』というタイトルで毎月ブログ記事を書いていた、すっかり元気になって、今年も花を咲かせてくれたデンドロビウム“珊瑚の女王(Coral Queen)”です。枯らしてしまった株からここまで何年も育ってくれているので、随分と愛情を感じます。

ふだらく

 ある本を読んでいて出てきた『補陀落渡海(ふだらくとかい)』という言葉。何となく知っていただけだったので、改めて調べてみました。  仏教では西方に阿弥陀如来の極楽浄土、東方には薬師如来の瑠璃光浄土などがあるとされているのですが、それと同様に南方には観音菩薩のおわす補陀落山があるとされ、その補陀落(浄土)を目指して多くの僧達が海を渡っていったそうです。  またチベットにおいて、歴代のダライ・ラマ法王が住まわれたポタラ宮の“ポタラ”も、この“ふだらく”という言葉を意味する(サンスクリット語)ものだそうです。ダライ・ラマ法王は観音菩薩の化身ということになっていますので、ポタラ宮という名前の由来に、ここで繋がりました。  補陀落渡海は、紀伊の那智勝浦から海を渡るものが有名なのだそうですが、ただ、“海を渡る”と言っても、大きな船で航海をするというものではなく、ひとつの捨身行で、渡海船といわれる小さな船の中央に小屋を設け、そして中に入った人が出られないように外から釘を打ち付けて、海へ流すというものだったそうです。  今を基準にして考えると滅茶苦茶なことだとしか考えられませんが、また当時においても普通のことであるはずはないでしょうし、今の私には到底想像の及ばないものがあったのだろうとしか書くことは出来ません。そしてこの補陀落渡海には何か、即身成仏と同じような考えが根底にはあるのだろうかと思いました。それとも山岳信仰の荒行の極みであったりするのでしょうか。  Wikipediaには復元された渡海船の写真が載っていますが、小屋の四方には鳥居が備え付けられ、神社を思わせるような特異な形をした船です。  黒潮の流れる大海へと送り出されるこの船の小屋の中で、一体どんな思いを抱いて観音浄土へと向かっていったのでしょうか。 〈参考〉補陀落渡海(Wikipedia)

天体観測 ~さらば昴よ

 先日までと比べて今夜は少しぼやっとしたような夜空ですが、卓上望遠鏡で東の空から上がってきた土星を、可能な限り高倍率にして見ていると、斜め(宇宙空間ではどこを基準にして上下なのか分かりませんが)にかかっている土星の環が、それとなく、けれどもその存在ははっきりと確認できました。この望遠鏡で土星をちゃんと認識して見たのは初めてかもしれません。大きな望遠鏡でなくてもこの望遠鏡でもちゃんと見えるんだと、何となく使っていた子供の頃の自分に教えてあげたいですね。(木星は比較的楽に衛星が確認できるので見た記憶があります。)  写真は昨年撮った中央左アルデバランと右上プレアデス星団(昴)です。冬の星座や昴を見ていると、冬休みに車に揺られ長距離を旅行したことや、その時に繰り返し流れていた『昴』の歌を思い出します。

見えないチカラ

 少し翳りはじめた月は、闇に押しつぶされているようなカタチ。  ここ数日冷え込んでいますが、富士山の麓の山中湖では-15度近くにまで冷え込んだそうです。富士山頂は朝から晩まで-26度くらい…。  山中湖村の富士山ライブカメラ〈絶景くん〉のガジェットを左側に追加しました。夜でも富士山が綺麗に見えています。

Blue Night

 毎晩夜になると雲がひとつもない快晴の夜空になる東京地方。ホワイトバランスを変えて写した夜空は、まるで深い海の底のよう。  DAYS JAPANブログの広河隆一氏の記事(2009年1月12日)で、日本でのガザ・イスラエルに関する報道が、事実とは違うのではないか、イスラエル(アメリカ?)側に偏っているのではないかという指摘がなされていました。この記事は報道各社にFAXで配られたそうです。  またイスラエル軍は外国の報道機関がガザへ入ることを阻止しているそうなので、このこともまた情報が偏ってしまう原因にもなっているのだろうかと思います。  gurdian.co.ukのページで、日々起こっていることの写真や動画がFlashで載せられているのですが、亡くなられた方や怪我をされた方々は17日の間にこんなにも増えてしまい、もうこれ以上カウントされるのはやめて欲しいと心から思います。  このガザへの攻撃がアメリカの政権移行に関係あるのではないかと思ったと記事に書きましたが、先日子供向けのニュース番組を見ていたら、そういう見方もあると解説されていました。またそのことに関連した今の経済的な問題やどこかの国の思惑があるのではないかと、これまた邪推してしまいますが、何れにしても、力に頼って物事を解決しようとすることに対する正当な理由などは、どこを探しても見つからないはずです。

Full Moon

 満月のお出まし  雲よ去れ  イスラエルはガザに対して新たな攻撃に突入するとニュースで聞きました。また、DAYS JAPANの広河隆一氏のブログ記事によると、2006年のハマス政権誕生から1月8日までのパレスチナ側の死者は1,100人以上、一方のイスラエルは2001年から28人(うち4人は味方による誤射)だそうです。亡くなった方々の人数が多いからとか少ないからということは全く意味を成しませんが、こういう事実も知っておかなければと思います。  このことに関連して私が恐ろしいと思うのは、イスラエルが核兵器を持っているということ。イランとの仲は悪いと聞きます。ずっと以前に書こうと思っていた記事を載せます。書きかけだったのでいつにもまして変な文章ですが…。 -------------------- 「アウシュビッツとヒロシマ」  『探検ロマン世界遺産 スペシャル 記憶の遺産~アウシュビッツ・ヒロシマからのメッセージ~』という番組(NHK)の再放送が深夜にあり、見るつもりはなかったものの、気が付くと眠気はどこかへ、静かな夜には耳を澄ます必要のないイヤホンから発せられる言葉に、じっくりと聞き入っていました。  オシフィエンチム(アウシュビッツ)。この呼び名は、以前丸木美術館で見た『アウシュビッツの図』の説明に、確か「ポーランド語でオシフェンツムと呼んでください」と現地の人に言われたという記述があったので、アウシュビッツという名とともに憶えています。オシフィエンチムと言う方が近いのでしょうか。  強制収容所から脱出し、いろいろな場所に出向き体験談を語られている男性。アウシュビッツの初代館長もまた強制収容された過去があり、収容されている時からすでに、「無事にここから出ることが出来れば、ここを歴史の資料館にし、こういう展示方法にしよう」ということを考えていたそうです。  ヒロシマ。現在でも多くの方たちが原爆の後遺症に苦しんでおられ、そして朝鮮の方たちもまたヒロシマで被爆し、苦しんで、そして亡くなっている。それは日本にいても、国へ帰っても。  番組の中でコメントされていた世界遺産認定委員の方(?)の語った、「アウシュビッツとヒロシマの違いは、前者はそこに至るまでにはいろいろな過程を踏んでいかなければならないが、後者は今現在でもボタンひとつで可能である点だ」という言葉が印象的でした。

月光菩薩

 gurdian.co.ukのサイトでガザでの写真・映像を見ていた時、ちょうど外から聞こえてきたサイレンの音が、三日月マークの救急車の映像と重なり、今、自分が一体何処にいるのか分からなくなりました。  終わらないイスラエルのガザ攻撃は、アメリカの政権移行に関係あるのかと邪推してしまいますが、もうすでに正気を失っているとしか思えません。こうして記事を書いている時点でも、パレスチナの人々を一ヶ所の建物へ避難(?)させ、そしてあろうことかそこへ砲撃を加えたという国連発表のニュースが流れ、以前(と言っても数日前です)見た映像ではクラスター爆弾を使っているようなものも流れ(白燐弾?)、“報復”という言葉が子供の言い訳にしか聞こえません。日本はどういう態度を取るのかとずっと思っていましたが、イスラエルに特使を派遣するということをやっと聞きました。  映画『NAKBA』を制作されているジャーナリストの広河隆一氏がおっしゃっている事ですが、1948年のイスラエル建国時に何が起こったのか、そこへ眼を向けないと光は見えないと。  瓦礫の下から見つかった少女の写真に悲しみを感じながら夜空を見上げると、一日降った雨がやみ雲が去った空には、月の光が厳しく優しく降り注いでいました。そしてその光を見て〈月光菩薩 がっこうぼさつ〉と思ったのは今夜が初めてのことです。仏像のイメージではなく形のない捉えることの出来ない光として、けれども何か救いがあるような気がして。  人類が地球上にいる間は、太陽と共に、まさしく〈菩薩〉という名前の如く、地上で何が起こっていようとも、いつまでも平等にその頭上に光を落とし続けるのでしょう。たとえその光を忘れることがあっても、日は昇り、月は満ち、そしてその忘却は自然の摂理から遠く隔絶された人間の悲しみなのだと思います。  ダライ・ラマ法王が、インドのサルナートという場所で七日間の講義を行なっていらっしゃるそうです。このインドのサルナート(鹿野苑)という場所は、ブッダ(お釈迦さま)が最初に教えを説いた(初転法輪)聖地として知られる場所で、また同じくインドで仏教徒を率いていらっしゃる日本人(今はインド国籍)僧侶の佐々井秀嶺氏のことも考えながら、死者の為ではない、生きている者の為にあるはずの仏教の姿に思いを馳せていました。

流星群

 昨夜の流星群は結局数個見ただけでしたが、金星のように明るいものが2個見えました。もっと空が開けている場所だったなら、もっと見えたかもしれません。  テレビの電波が再び乱れ始めたような気がします。

眠り猫

 昨年末には日本百観音のひとつである秩父三十四観音霊場(埼玉県)の札所巡礼を、個人的なものと、故人の菩提を弔う意味を添えて終えたのですが、大晦日からの断食にはその締めくくりの意味もあったのかもしれません。  東京地方は今日は快晴、しぶんぎ座流星群(アストロアーツより)が見られそうです。多ければ1時間に50個ほどの流星が見られるとか。人々の活動のレベルも低いはずなので、空もいつもより暗いかもしれません。大晦日の昼からずっと眠っていたテレビを久しぶりにつけると、画面がすっきりクリアーになっていて、これもお正月で余計な電波障害がないおかげかななどとも思いました。  ただこの流星群はいつが極大になるのかが分からず、しかもその極大を逃すと急に見えなくなってしまうそうなので、月の沈む夜の22、23時頃から一晩中、北東を中心とした夜空を見上げていなければならないのかもしれません。  もしご覧になる方は、寒いので体調を崩されないようにお気を付け下さい。 (追記)  今年はアポロが月に行ってから40年ですね。本当に月へ行ったのか?という話がありますが、まあ行ったのだろうと私は思います。日本の打ち上げた月周回衛星“かぐや”で、人類が月に降り立ったというその痕跡は見つけられないものでしょうか。今月公開の『ザ・ムーン』という映画が気になるところです。そして今年は世界天文年2009。

お正月に死を思う:メメント・モリ

 昨年はいつにもまして天災や人災が多かった年だったような気がします。  ビルマのサイクロン、中国四川省での大地震、北京オリンピックの問題、ロシアとグルジア、経済の問題、そして年をまたいでイスラエルとパレスチナ。  特にチベットの問題に関しては、数年前に東京の護国寺で行なわれていたチベットフェスティバルで、チベットの置かれている状況は多少は知ったつもりでいましたが、北京オリンピック=中国に対する抗議行動によって入ってくる情報量が増え、チベット以外の自治区でも、国内の人権活動家に対してさえも、どれほど酷いことを行なっているのか、怒りと悲しみの感情が同時に流れ出てしまいそうです。今この時点でさえも拷問されている人々がいるのだろうと思うと…。  そんなことを憂いながら大晦日より続けていた断食ですが、慣れていないせいなのか、体の蓄えがないからなのか、体を動かしすぎたのか、それとも単に体がわがままを言っているからなのか理由は分かりませんが、出来れば二日と思っていたものの、体力をかなり消耗してしまったようで、一日半ほどで中断、丑三つ時に何とか起き上がりおかゆを作って食べました。消化の良さそうなバナナも半分。人間はこうやって衰弱していくのだろうなと考えながら、無理やりお米をそしゃくさせ、半分食べ終えた所でそのまま横になって朝を迎えました。  寝床より起き上がると体力はだいぶ回復したようで、苦行をされていたお釈迦様にスジャータが乳粥を捧げたという話がありますが、私もおかゆの存在をとても有難く感じました。いつかテレビで見たブータンのお寺の子供達の食事はほとんどおかゆだけで、それでも元気に動き回っていたので、人間はこんなもので十分なのだろうなと思ったことがまた頭をよぎります。  体も動くようになったので少し外へ出かけようと歩いていると、公園で楽しそうに遊んでいる親子が何組もありこちらも嬉しくなっていましたが、いつもよく通る大通りでひき逃げがあったらしく真新しいお花が飾ってありました。  日中の街やお店はまだ新年2日にもかかわらずほとんど平常通りなんですね。お正月という雰囲気もあまりなく。  帰り道には近所のお寺へお参りに。閑散とした小さな境内では、卒塔婆がカタカタと鳴るだけで、お寺の人たちも初詣に行ったのかと思うほど人の気配はなく、扉の閉まったコンクリート造りのお堂にお参りをします。扉の