gurdian.co.ukのサイトでガザでの写真・映像を見ていた時、ちょうど外から聞こえてきたサイレンの音が、三日月マークの救急車の映像と重なり、今、自分が一体何処にいるのか分からなくなりました。
終わらないイスラエルのガザ攻撃は、アメリカの政権移行に関係あるのかと邪推してしまいますが、もうすでに正気を失っているとしか思えません。こうして記事を書いている時点でも、パレスチナの人々を一ヶ所の建物へ避難(?)させ、そしてあろうことかそこへ砲撃を加えたという国連発表のニュースが流れ、以前(と言っても数日前です)見た映像ではクラスター爆弾を使っているようなものも流れ(白燐弾?)、“報復”という言葉が子供の言い訳にしか聞こえません。日本はどういう態度を取るのかとずっと思っていましたが、イスラエルに特使を派遣するということをやっと聞きました。
映画『NAKBA』を制作されているジャーナリストの広河隆一氏がおっしゃっている事ですが、1948年のイスラエル建国時に何が起こったのか、そこへ眼を向けないと光は見えないと。
瓦礫の下から見つかった少女の写真に悲しみを感じながら夜空を見上げると、一日降った雨がやみ雲が去った空には、月の光が厳しく優しく降り注いでいました。そしてその光を見て〈月光菩薩 がっこうぼさつ〉と思ったのは今夜が初めてのことです。仏像のイメージではなく形のない捉えることの出来ない光として、けれども何か救いがあるような気がして。
人類が地球上にいる間は、太陽と共に、まさしく〈菩薩〉という名前の如く、地上で何が起こっていようとも、いつまでも平等にその頭上に光を落とし続けるのでしょう。たとえその光を忘れることがあっても、日は昇り、月は満ち、そしてその忘却は自然の摂理から遠く隔絶された人間の悲しみなのだと思います。
ダライ・ラマ法王が、インドのサルナートという場所で七日間の講義を行なっていらっしゃるそうです。このインドのサルナート(鹿野苑)という場所は、ブッダ(お釈迦さま)が最初に教えを説いた(初転法輪)聖地として知られる場所で、また同じくインドで仏教徒を率いていらっしゃる日本人(今はインド国籍)僧侶の佐々井秀嶺氏のことも考えながら、死者の為ではない、生きている者の為にあるはずの仏教の姿に思いを馳せていました。
終わらないイスラエルのガザ攻撃は、アメリカの政権移行に関係あるのかと邪推してしまいますが、もうすでに正気を失っているとしか思えません。こうして記事を書いている時点でも、パレスチナの人々を一ヶ所の建物へ避難(?)させ、そしてあろうことかそこへ砲撃を加えたという国連発表のニュースが流れ、以前(と言っても数日前です)見た映像ではクラスター爆弾を使っているようなものも流れ(白燐弾?)、“報復”という言葉が子供の言い訳にしか聞こえません。日本はどういう態度を取るのかとずっと思っていましたが、イスラエルに特使を派遣するということをやっと聞きました。
映画『NAKBA』を制作されているジャーナリストの広河隆一氏がおっしゃっている事ですが、1948年のイスラエル建国時に何が起こったのか、そこへ眼を向けないと光は見えないと。
瓦礫の下から見つかった少女の写真に悲しみを感じながら夜空を見上げると、一日降った雨がやみ雲が去った空には、月の光が厳しく優しく降り注いでいました。そしてその光を見て〈月光菩薩 がっこうぼさつ〉と思ったのは今夜が初めてのことです。仏像のイメージではなく形のない捉えることの出来ない光として、けれども何か救いがあるような気がして。
人類が地球上にいる間は、太陽と共に、まさしく〈菩薩〉という名前の如く、地上で何が起こっていようとも、いつまでも平等にその頭上に光を落とし続けるのでしょう。たとえその光を忘れることがあっても、日は昇り、月は満ち、そしてその忘却は自然の摂理から遠く隔絶された人間の悲しみなのだと思います。
ダライ・ラマ法王が、インドのサルナートという場所で七日間の講義を行なっていらっしゃるそうです。このインドのサルナート(鹿野苑)という場所は、ブッダ(お釈迦さま)が最初に教えを説いた(初転法輪)聖地として知られる場所で、また同じくインドで仏教徒を率いていらっしゃる日本人(今はインド国籍)僧侶の佐々井秀嶺氏のことも考えながら、死者の為ではない、生きている者の為にあるはずの仏教の姿に思いを馳せていました。
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