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2月, 2014の投稿を表示しています

PM2.5

 光化学スモッグが出るような白い空。大陸から、また国内からも微小な物質が流れて集まっているという。島国にあっても、風に乗って流れてくるものはどうしようもない。西日本に住んでいた頃は、こんな春の白い空が嫌いで、これが花曇りだというのだとずっと思っていたが、おそらく黄砂などだったのではないだろうか。伊豆の河津桜はもうすぐ満開。

カレンダー

 一年間のカレンダーを眺めていると、今年ももうあまり日にちがないように感じる。それだけ年をとる、というより一日々々老化して、気力も体力も知力も衰えているのだろう。  一度だけ話を聞きに行った、イスラム研究の先生のサイトのブックマークをクリックしたら、数年前に亡くなられていたことを知る。

単焦点

 カメラ博物館に陳列されていた歴代ライカを思い出し、日本製のカメラもそうだが、コンパクトカメラでありながら、何十年も前のものが現役で使えるところがとてもいい。デジタルカメラになり、フィルムに費やすお金は考えなくてよくなったものの、カメラの中身がダメになってしまうと、すべて使えなくなってしまうのがとても残念だ。外側は使いまわしをし、オーバーホールをしながら、中身だけバージョンアップ出来れば理想なのだが。  最近のモノクロ写真はすべてリコーのGR-DIGITAL II。28mmの単焦点レンズが付いたデジタルカメラで、もう古いものになっているが、内部にゴミが入ってしまった以外は問題なく使えている。  フィルム時代は50mmの単焦点レンズ(標準レンズと呼ばれていた)の付いたカメラをもらい、そのレンズ1本で写真を撮ることに何の違和感をも持っていなかったが、今になって思ってみても、趣味で写真を撮るのならば(特別な理由がなければ)、単焦点で十分、いや自分にとっては単焦点だけの方が性に合っている気がする。

春の日差し

 四谷から千鳥ヶ淵へ。ビルの一角からは就職活動だと思われる若者たちが出てきた。  千鳥ケ淵戦没者墓苑。ここには家族に引き渡されることのない遺骨が眠る。生きて故郷に帰ることがかなわなかったのは、どれほど無念だったことか。今生きているすべての人間が、一度はその無念さを眼前の現実として想像すべきだろうと思う。白い菊の花を手向ける。  日本カメラ博物館へ行く道には桜が咲いていた。江戸時代から現在までのさまざまなカメラが陳列されていた。ライカ展をやっており、木村伊兵衛氏の道具などもあった。  ニコラ・バレ修道院。ロザリオを手に、珠を繰っている人を見かけた。  新宿の喧騒の中へ。コクーンタワーはどこから見ても異彩を放っていた。森麻季さんのCDとビッグイシューを買う。

空気は冷たく

 JRで宣伝している伊豆のポスター。ちょっと前から貼ってあるが、このド派手なピンクが目に入るたびに、また河津桜を見に行きたいと思う気にさせる。  渋谷、ヒカリエのビル。  クロスタワーの階段のあたりに工事の幕が張ってあり、もしや取り壊されたのかと思っていたが、この壁はまだあった。今日はなぜかここへ来たいと思った。時代が逆行しているような気がしているからだろうか。尾崎豊は亡くなってもうすぐ22年にもなるのか。頭の中で流れていた曲は尾崎豊の街路樹、そしてImagine。国という概念が無くなれば人間の意識は変わるのだろうか。  スクランブル交差点。

雪害

 積もった雪は凍結し、底の方は一度溶けて氷になっているようだ。道路に氷の膜が張っている場所も多々ある。積み上げられた雪は、ほぼそのままの状態で残っている。  数年前、大雨が猛威を振るった後に山梨の赤沢宿・早川町方面へ行ったとき、七面山の麓の駐車場では土砂崩れで車が埋まっており、また川も土石流となっていたのだろう様相を呈し、早川町の役場の裏も崖崩れとなっていた。ニュースであまり聞いていなかっただけに、そのあまりのひどさにとても驚いた記憶があるが、今回の大雪も、雪が解けた後になってはじめて、その被害の大きさがつまびらかになるというようなことはないだろうか。現在進行形の事柄だけに、これ以上被害のないことを切に願う。

しばらく残雪

 昨日は、雪の後だから空気が綺麗なのかと思っていたが、車が走っていないからだったのかもしれない。  一日経ってもまだチェーンを巻いているバスがあった。バス停の脇に積み上げられた雪は、朝見た時とほとんど変わらず。

冬晴れ

 朝から快晴ですっきりと晴れていた。午後になってようやくバスも動き出したようだ。屋根に積もった雪は解け、雫がとめどなくしたたり落ちる。屋根にはどれほどの雪が積もっているのか分からないが、こんな雪が頻繁に降るようになるなら、何か考えなくてはいけないだろう。ただ、春は着実に近づいている。

雪の後

 朝から雪はやんでいたが、先週末よりも多く積もっていたようだ。バスが一日運休し(これはとても珍しい)、夜になって朝刊が届いた。夕刊は届かず。  空の写真が撮りたくて裏のベランダに出たいが、ここも先週と同じく、積もった雪でドアが開けられず、とけるのを待つしかない。空が見えるところを見つけて一枚。

雪の東京

 先週末と同じか、それ以上に降り続いている雪。  夜にはもらったチケットを手に、クラシックのコンサート。歌い手と聞き手の距離が近く良かった。  帰りの電車は遅れていたが、乗客は少ない。雪が増えるのを見越して早く帰宅したのだろう。

貝殻

 最近の世の中の風潮、いろいろ思うところはあるが、釈尊の「好ましい言葉のみを語れ」という言葉を箴言に、チベット仏教の高僧の尊顔を思い出しながら、かろうじて心の中だけにとどめおく。

 テレビをつけると、オシフィエンツム(アウシュビッツ)の映像が流れていた。30分もない世界遺産の番組だったが、映像を見ているだけでもおぞましい恐怖を感じた。

選挙の日

 朝には雪はやみ、青空が出ていた。朝食をとり選挙会場へ向かう。雪はずいぶん溶けたようだが、雪かきがされていない場所の雪はしばらく残り、朝晩はこのまま凍結するのだろう。  これから選挙へ向かうというご婦人から道をたずねられたが、怪我なく無事に帰ってこられただろうか。多少の無理をしてでも選挙へ行こうという姿を見るたびに、人間の良心を感じる。

雪の降る日は

 天気予報では大雪と言っていたが、はたしてどれほどのものになるのかと思っていたが、真夜中カーテンを開けて外を見ると、街頭に照らされて粉雪が舞い、地面にうっすらと積もっていた。  朝起きると、路線バスはタイヤにチェーンをはめ、道路を踏みしめながら走り、空には強い風に乗った雪が舞っていた。気温が低いためか、ひとつひとつの雪の粒は小さく、容易に風にあおられ吹きだまっていた。ベランダの上には雪が屋根のようにせり出し、重さに耐え切れなくなると、どさりと落ちる。年末に行った越後の国を思い出す。  夜には雪も少し弱まったようなので、公園へ写真を撮りに行く。思っていた以上に雪は積もり、多い場所では40センチほども積もっていた。  雪は次第に弱まってきているようだが、風は相変わらず強く吹いている。

雑記

 今日は暖かくなった。三寒四温にはまだまだ早いが、だんだんと春を感じるようになってきた。  あるクラシックのピアノCDをヘッドフォンでひとり聴いていると、この曲が書かれた頃には考えられなかったことだが、このピアノの演奏が、自分のためだけに特別にあつらえてもらったものであるように感じられ、それがものすごく贅沢で、そして幸せな時代または境遇に生まれたのではないかという考えが頭をよぎった。  今さらながら、なぜこんなことを思ったのかと考えてみると、思い当たることがひとつ。それは、このCDが録音されたのがアナログの時代で、ピアノの音に混じる雑音から、演奏家の人間の血液の温かみが感じられたからではないだろうか。

梅の花

 10年ほど前までは一番好きだった梅の花。特に白い花びらが早春の澄んだ青空によく映える。近くに寄るとほのかに淡いにおいが漂ってくる。去年の写真と見比べると、開花がずいぶんと早いようだ。  「梅の花ですか?」  「梅の花ですね。」  「もう咲いてるんですね。早いですね。」  「早いですね。」  夕日に照らされた花びらもとても美しく、そんな会話が夢の中の出来事のようだった。 こちらは蝋梅(ロウバイ)の花。蝋細工の梅の花。強く甘いにおいに誘われる。