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8月, 2008の投稿を表示しています

 さわやかに晴れ渡った8月の終わり、道路脇に立てられた網の柵から、黄緑色のイガグリが飛び出していました。これくらいの頃の栗は、イガもとげとげしい感じがなく、なんだかとても可愛らしいです。  そして今日もお昼を過ぎた頃には東の空から入道雲が湧き、夜には雨となりました。大雨で被害が出ている場所がある一方、四国ではダムが枯れてしまったそうで、こんな狭い島国なのに、お天道様のご機嫌は分からないものです。

夏から秋へ

 今年の夏は確かセミの鳴き始めるのが遅かったような気がしていたのですが、その遅れを取り戻すかのようにミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシなどいろいろなセミが力の限りに鳴いていました。  けれども草むらにはバッタの姿をよく見るようになり(夜はもっぱらバッタの声しか聞こえてこなくなってきました)、トンボの姿も見かけるようになりました。そして今日はとても久しぶりにオニヤンマを見ました。すぐ目の前まで悠然と飛んでくるオニヤンマは、こんなに大きかったのかと思うほどの威圧感がありました。用水路の上を何度も行き来するオニヤンマがどうしても捕まえられなかった記憶が蘇ってきます。  穴が空いて黄や赤に変色した桜の葉が、夏の雲と秋の空の間をはらはらと落ちていました。

夏の記憶

 明日は二百十日。台風のないまま豪雨が続いていますが、今日も東の方から迫ってくる大きな入道雲を見ました。水を持って見晴らしの良い場所へ出掛けてみると、この雲の他にもたくさんの入道雲が湧いていました。そしてこの雲が広がり、夜からはまた本格的な雨へ。  断食は無事(?)終了しました。昨晩から就寝時間を含めてほぼ24時間の断食でした。一年に一度はこういう日があってもいいのかなと思います。

非常に激しい雷雨

 昨日の真夜中(29日の午前)、非常に激しい雷の音に驚き外を見ていると、雷が次第に近付き、やがて雷雲の中にすっぽりと入ってしまったかのような閃光と轟音、そして地響き。雨漏りを誘う激しい雨。  目の前でカメラのフラッシュが光ったように視界が一瞬赤くなり、と思う間もなく目の前に下される一本の稲妻、轟音、体中を走る寒気、建物全体を震わす地響き。それが何度も何度も。  先日の雷雨とは比べものになるはずもなく、遠くの雷はモノラルサウンドでゴロゴロ、近付くにつれてサラウンドの音になってバリバリ、昨日の雷の音を表すならといろいろ言葉を考えていたのですが、ジャン!とかジャジャジャ!とかザザザ!という感じでした。  …と書いていたら今日もまた雷が近付いてきました。  明日(本日30日)は断食です。朝7時~夜7時まで。ダライ・ラマ法王もご参加になられるそうです。

雷雨・・・・・

 アフガニスタンで武装グループによって拉致された伊藤さんは身元が確認され、殺害されたことが明らかになってしまいました。とても残念です。彼が無事であって、その功績を評価してもらいたかった。武器や暴力に訴える卑怯な犯行に激しい憤りを感じます。  そしてまた一方では、アフガニスタン国内の治安維持のための空爆で、市民が巻き添えになってしまったという記事も読みました。  アメリカの同時多発テロから始まった“テロとの戦い”とは何なのか、そしてこれからどうしようとしているのか、頭の中でいろいろなことが渦巻いています。

10万人の署名

 ビルマでミャンマー軍に殺害されたジャーナリストの長井健司さんへの署名が、長井さんのお誕生日である本日、10万件を突破したそうです。この100,000人分の署名が、長井さんのビデオカメラを取り返すきっかけに、ミャンマー政府を動かす力になって欲しいと思います。  署名はまだまだ受け付けているようですので、賛同された方はぜひ署名していただきたいと思います。  ミャンマー軍による長井健司さん殺害に抗議する会

アフガニスタン

 先月、東京外大の先生の講演を聞いた時、アフガニスタンの情勢を知る上で信用のできる情報として、アフガニスタン東部で活動されているペシャーワール会の名前を挙げていらっしゃったのですが、その時点でも治安はかなり悪化しているということでした。  そして今日、まさかその会に所属されている方が武装勢力(?)に拉致されるとは思っていなかったので、とても驚いています。想像以上に治安は悪化の一途をたどっているのでしょうか。ニュースを見るとどうやら無事解放された様子なのでひとまず安心しましたが、…というのは誤報でした。  一刻も早い解放を願います。

雨・・・・・

 オリンピックが終わり通常に戻りつつあるニュースを見ていたら、グルジアで避難して来た女性が『地雷の撤去などで家に戻れないと言われた。ばらばらになった遺体を見た。夫が行方不明。』などと訴えていました。  こういうことでも地雷を使うのかということに驚きを感じ、またジャーナリスト達に発砲しているビデオ、そしてオランダのカメラマンが亡くなってもいるそうなのですが、ここでもまた、オリンピックの話題でかき消されがちだった、映像では流れてこない悲惨な事が起きているようです。  そういうことがあるかどうかは分かりませんが、イラクやパレスチナの映像で見たことがある、道路脇に放置された遺体の下などにピンを外した手榴弾を置き、遺体を少しでも動かせばその手榴弾が爆発するという、卑劣な手段のことを思い出しました。  アメリカ陸軍が宣伝用などの目的で作った無料ゲームがあるそうで、リアルな・面白いゲームとしてそれなりの評価を得ているそうですが、上のようなことを考えていると、実際の戦争とゲームを結び付けているということに、強い憤りというより、深い悲しみを感じます。  夜から雨が本降りになり、肌寒い残暑です。晴れる日まで待っていられない蝉が鳴き始めたが、その他の雨が降る前日まで大音声で鳴いていた蝉たちはどうしているのだろう。あと一週間近くこの天気は続くようだけれど…。

虫の魂

 昨晩寝床へ入り目を閉じていると、窓の外から洗濯板をギリギリと棒でゆっくりこすったような蝉の声が耳に入り、命の終わりに精一杯の力を出し尽くして鳴いているのかと、とても悲痛なものに思えました。  セミやカブトムシやクワガタムシや、死んでしまうと途端に体は軽くなり、風に飛ばされからからと音を立てて転がり、その無くなってしまった重みは全て、虫の魂なのではないかと思うことがあります。  最高気温が20℃以下と、8月であることを忘れてしまうような、上着がないと風邪をひいてしまいそうな肌寒さ。夕方から強くなってきた雨の中、遠くの方から花火らしき音が響いていました。

嵐の夜に

 日没と前後して、強い北風、暗い町並みを真昼のように浮かび上がらせる強烈な稲光、その轟音、激しい大粒の雨が叩き付け、遠くの方には何本も稲妻が落ち続けている。  今年は雷雨になることが多いですが、これほどまでに激しい雷雨の光景は、この地上に生み出されて、初めて目にしたように思います。

身と耳

 夜になり、湿った涼しい北風が吹いてきました。気温が下がったためか、数が減ったためか、夜に鳴いている蝉の声も今日は少ないようで、肌と耳とがこの変化を知らせてきました。

平和への断食

 8月30日(土)、チベットの暦で6月の最後にあたるこの日に、平和(特にチベット)を願って、12時間の断食法要が行なわれるそうです。 【覚書き】  日時:8月30日(土)の朝7:00~夜19:00(12時間)。自分の体調に合わせて10分でもいいそうです。  会場:東京音羽の護国寺が設定されているそうですが、住んでいる場所で行なえばいいようです。  断食の仕方:水(と普段飲んでいる薬があれば)以外は何も口にしません。 ※もし断食をされる方がいらっしゃれば、ぜひご無理をなさいませぬように。

夏の涼しさ

 昨日降った雨の涼しさが、今日も続いているような爽やかさでした。夏の盛りでも、気象条件が少し変わっただけで、こんなに涼しくなるものですね。それとももう秋の気配が忍び寄ってきているのでしょうか。  汐留にある日本テレビで開催されている「GO!GO!SHIODOMEジャンボリー」。2Fホワイエという場所で、長井健司さんの遺品の展示や、ビデオが放映されているそうです。(~8/31)  SHIODOMEジャンボリーではいろいろな展示や催しがあるそうですが、こちらのブースへもぜひ。

壁紙を更新しました。

 壁紙のページに、マツムシソウやトンボや空などの壁紙を更新しました(1024x768)。

8.15

 玉音放送から63年間、さまざまな思いが交錯する8月15日。  けれども平和を求める気持ちは、みな同じものだと思いたい。  夜の蝉時雨の中、木の根元の草むらではコオロギが鳴き始めている。

夏の高原キャンプ その2

 霧の中の霧ヶ峰。太陽が昇り始めると次第に霧は薄れ、早々と朝食を食べ、テントを片付けます。  今日はこれから霧ヶ峰~車山を目指します。朝のビーナスラインはほとんど車もなく、 車山肩 もすぐでした。 車山 は霧の中、秋を告げるマツムシソウなど花の写真を撮りながら散策していると(写真上4枚)、青空も見えるようになってきました。  車山肩から高原風景を眺めながらビーナスラインを東へ、そして白樺湖から南へ下り、原村を通って 清里 を目指します。さすがに混雑している 清里 ( 清泉寮 )へ車を停め、ジャージーハットのソフトクリームの列に並び、付近を散策しました。清泉寮の横にはいろいろな花が植えられた ハーブ・ガーデン があり、すぐ隣の喧騒が嘘のようで、綺麗に手入れされた庭は見ていて清々しいです(写真中4枚)。  清泉寮を後に冬はスキー場になる サンメドウズ へ。夏場は ユリ が植えられ、リフトの下に咲く花々を自由に楽しむことが出来ます(写真中2枚)。  今日は清里からまっすぐ帰らず、清里ラインを外れて寄り道をしました。「名勝 大滝 」の看板に誘われて道を下っていくと8台程の駐車場があり、そこから階段をまあまあ下りて滝を目指しました。滝見観音(?)前の橋は大体が金属で出来ていましたが、足元に渡してある木が朽ちている箇所があり、その下は増水したであろう川がごうと音を立てて流れ、小さな子供には危険であろう場所でした。滝は何段かに分かれているようで、一番下の滝が見えましたが、水は濁り、付近には小さな枝などの流木が散乱していました。苔むした杭が綺麗でした(写真下3枚)。  大滝から南へ下るはずでしたが、途中から クリスタルライン に乗って走ってしまい、 高須林道 (舗装路)の峠を越え山を越え みずがき湖 へ来てしまいました。山の向こうの入道雲を眺めつつ休憩し(写真下1枚)、気を取り直して 増富ラジウムライン から 中央道・須玉I.C. へ。  中央道ではいつものように 双葉S.A. に立ち寄り、展望台から甲府盆地を眺め、富士山も薄っすらと見ることが出来ました。食事をして休憩していると夕焼けになり、おぼろ月も加わって、夏の旅を締めくくるのに相応しいような空になりました。

夏の高原キャンプ その1

 昨年に続き、今年も高原キャンプへ行きました。  前日の夜から中央自動車道を東へ走り、甲府盆地を抜けて諏訪湖の見渡せる諏訪湖S.A.へ。そして朝まで仮眠。  朝早く出発し、岡谷JCTで長野自動車道へ。諏訪湖の北側にあたる岡谷I.C.で下り、国道20号線・甲州街道の塩尻峠を越えて、国道から山道に入り目指すのは 高ボッチ高原 (写真上4枚)。  広くない山道を上って行くとまず見えてくるのは草競馬場。視界が開け間もなく 高ボッチ高原 の駐車場です。この場所からは北アルプスが真正面に見えるはずですが、今日は空が霞んでいて槍ヶ岳も淡く見える程度でした。  山頂を目指し草に覆われたなだらかな道を歩いて行くと、蝶が次から次へ飛び立ちました。蜂も忙しなく飛び回っています。写真を撮りながらゆっくり歩いて15分ほどで山頂へ出ましたが、富士山、八ヶ岳の方からは雲が立ち昇り、視界はほとんどありませんでした。秋の紅葉の季節にはとても素晴らしい景色が広がるのではと思います。  高ボッチ高原を下り、諏訪湖の東側を南へ走り、次は 池のくるみ を目指します。中央道諏訪I.C.の近くより諏訪カントリークラブを目指し、さらに霧ヶ峰を目指して山道を上がって行きます。何件かのペンションが建ち、数台分の駐車場があります。国の天然記念物の湿原であるこの 池のくるみ (踊場湿原)は遊歩道が整備され、いろいろな花が咲いています(写真中6枚)。  池のくるみから 霧ヶ峰 は車ですぐ近くです。自然保護センターや土産物店の駐車場でしばらく休憩。八ヶ岳は夏雲の中、黒い雲から時おり雨粒が落ちてくるような天気でした。  次は駐車場から西へ少し下り、 忘れ路の丘 へ(写真下4枚)。駐車場からキボウシの咲く道を通り、丘の上へ。昨年は霧鐘塔の辺りから北アルプス・御嶽山・中央アルプス・南アルプス・富士山・八ヶ岳とほぼ360度のパノラマでしたが、今回はほとんど全てが夏雲に覆われていました。  日が少し傾きかけた頃、忘れ路の丘からさらに少しだけ下った場所にある 霧ヶ峰キャンプ場 へ。早めの夕飯を作って食べ終わった頃、ちょうどぽつりぽつりと(恵みの)雨が降り始め、淡い期待を抱いていた ペルセウス座流星群 はもちろん、星は一つも見えませんでした。真夜中には雨が強く降ったりやんだり、早朝テントの中から外を見てみると、一面の霧の景色、まさに霧ヶ峰...

蝉の幸せ

 立秋を過ぎて、蝉の亡き骸をよく見かけるようになりました。  人間にとってはとても短く感じられる、一週間足らずと言われる蝉の成虫の命。  けれども蝉にとってこの七日間は、永遠に続くかと思われる時間なのかもしれません。  世界がどのようになっていようとも、地上へ生まれた蝉にとって、この夏の日々が幸せな生であればと思います。  そして今晩も蝉時雨がこだまします。

パレスチナのNAKBA

 長崎で原爆慰霊祭が行われているちょうどその頃、記録映画『NAKBA』の鑑賞会へ行っていました。  この映画は、約40年前フォトジャーナリストの広河隆一氏がイスラエルの共同体キブツダリアで過ごしていた頃、偶然目にした瓦礫の光景が出発点となっています。キブツダリアの近くにあるその瓦礫は、かつてパレスチナの人々が生活していた土地でしたが、イスラエル建国に伴ってその村は破壊され、他人の所有地となっています。(破壊された村の跡地に建てられた新しい村には、ホロコーストから生き延びた人達が住んでいた所もあるといいます。)  広河氏は古い地図に記されていたこのダリヤトルーハという村、そこに暮らしていた人々を何年もの月日をかけて探し、そしてその間にもパレスチナ・イスラエルの間では様々なことが起こりましたが、今なお難民キャンプで生活するダリヤトルーハの方達の証言をビデオに収めています。  そしてそれらのパレスチナの人々の証言、またイスラエル兵の証言などから、1948年、イスラエルは建国で土地を広げる際にパレスチナ人の町や村を破壊し、住民を虐殺したという事実があり、パレスチナ人達はそのことをNAKBA(大惨事)と呼んでいるそうです。  このNAKBA、パレスチナ人を強制的に追放するやり方に対しイスラエルの中でも問題視する人達が存在し、抗議活動を起こしたり、海外で講演したりもしています。  この記録映画『NAKBA』は広河氏が40年間撮り続けてこられた膨大な数の写真、膨大な時間の映像のごくごく一部だそうで、現在DVDで約30枚、時間にして40〜50時間のアーカイブス版(完全版)を製作されているそうです。  歴史から消し去られてもおかしくないようなこのNAKBAという事実。アラブ人、ユダヤ人、イスラエル、パレスチナ、双方の証言を、かつての少女が子供を持つ親になっているほど長い期間に渡って記録されてきたことは、ただそのことだけを見ても、とても意義のあることなのだと思います。  映画の中の一場面(予告編でも出てきます)、イスラエルが築いたバリケードの先頭に立ち、ブイサインの右手を高らかと突き上げ毅然と前を見据えている女性、対面している若いイスラエル兵士の怯えてうろたえているような困惑しているような不満そうな表情がとても印象的でした。

蓮浄土

 太平洋戦争末期、太平洋の島々やアジア諸国での激戦から無事に引き揚げてこられた方々、彼らがどんな戦場で一体どんな体験をされたのかを証言されたテレビ番組が数日にわたり放映されていました。  フィリピン、ガダルカナル島、ビアク島、沖縄、ペリリュー島、インパール、、、。  戦場によって状況は違いますが、補給される物資・援軍を当てにすることは絶望的で、退却(転進と言っていたそうですが)することも不可能、玉砕することすら禁じられ生きることも死ぬことも出来ない島もあり、食べるものも水も無く、仲間は次々に殺され、負傷し、病気やマラリアに倒れ、治る見込みのない人々は仲間によって殺され、放置された遺体は腐敗し、そして戦後63年経った今でも、無数の遺骨が日本を遠く離れた土地で風雨にさらされているといいます。  当時いろいろな立場にあった方々が、それぞれの体験を語られていましたが、そのどれもが耳を覆うことを目をそむけることを許さない、地獄という言葉が薄っぺらに聞こえてしまうほどの、とても酷くむごたらしい惨状でした。想像することすらも拒絶されてしまう、人が作り出した悲しい現実なのだと思います。  毎年毎年夏になると、太平洋の大海原をなでて北へ北へと吹いてくる風、この南風に乗って、彼らの魂は、無事に故郷まで辿り着くことが出来たのだろうか。  かつて敵として戦った人たち、そして争いに巻き込まれた人たち。  言葉に出来ない多くの思いを、蓮の花に託して、、、。

伝統的七夕

 すっきりと晴れて夏らしい天気になりました。立秋の今日は巻き雲が出ていたり、何となく秋に近付いたのかなと感じる一方、夜になっても全く止む気配の無い蝉時雨を聞いていると、やはりまだまだ盛夏だなと感じます。  そして今年2008年は、今日が旧暦の七夕に当たるそうです(国立天文台のサイトより)。夜空を見上げてみると、織姫(ベガ)・彦星(アルタイル)とデネブを結ぶ、夏の大三角形がおぼろに見えていました。

雷・風

 昨日・今日と、夜空がチカチカ、ダメになりかかっている蛍光灯のように、気まぐれに光り、昨日よりも今夜の方がその間隔は広くなり、肌にまとわりつき体温を奪うような湿った南風が吹いてきます。

夏!

皆様どうぞお体にお気をつけ下さい。