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もうすぐ春の星座へ?

 氷点下の空気の中、少し明るい夜空を見上げると、オリオン座が綺麗に見えていました。写真に撮ると、肉眼ではなかなか見えない星や星団・星雲が見え、パソコンのプラネタリウムソフトで名前を確認。この写真に写っているのはオリオン座の一部とアルデバランとスバルとカペラと・・・。

七夕の夜空

 今日は宇宙ステーションもよく見えたそうですが、風が強く空が綺麗だったので、また七夕なので星の写真を撮ってみました。  月が強く光っているにもかかわらず、天頂に明るく輝く星は惑星なのかと思うほど明るく見えましたが、この星がこと座のベガ、そして左下に羽を広げたはくちょう座のデネブ、そして右の方で雲に隠れながらわし座のアルタイル。織姫星(ベガ)、彦星(アルタイル)、夏の大三角。  秋の夜空に比べると、やはりぼんやりとはしていますが、七夕の日にこれだけ見えるとは思っていませんでした。

ブルーム

 今年はアブラムシが少ない気がします。昨年は大量に発生して、鉢植えの花にびっしりと付いていた憶えがありますが、今年はほとんど見かけません。アブラムシにとっては条件の悪い気候なのでしょうか。

ふたたびルーリン彗星

 昨晩も晴れたので、ルーリン彗星を探してみました(21日夜~)。一日毎に場所が変わるので大体の位置を覚えて、今夜は卓上望遠鏡で見てみます。今夜は近くに目印となるようなものがあまりないので、なかなか探し当てることは出来ませんでしたが、暗さに目が慣れてくるに従って、どうやらそれらしきものが何となく見えてきました。見えているのかどうかが分からないほど、本当に“何となく”です。写真に撮るとその場所に彗星が写っていたので、やっと見えたということに確信が持てました。今夜からはもう当分星空は期待出来そうにありません。

ルーリン彗星

 ルーリン彗星の最接近は24日だそうですが、これからは天気が悪くなってしまうそうなので、今夜の晴れが最後のチャンスだと思い、風の強い夜空を眺めていました。  木星土星を挟んで、しし座のレグルス、おとめ座のスピカはすぐ見付けられたのですが、空は真冬の澄み渡った空気!とはならず、また何となく明るく、小さな双眼鏡ではルーリン彗星を見付けることは出来ませんでした。  写真に撮ると、ぼやっとした彗星が見えました。その写真を頼りに再び双眼鏡で挑戦してみましたが、やっぱり無理でした…。  下の写真は1997年に見たヘール・ボップ彗星です。今までに見た彗星の中で一番大きいもの(よく見えたもの)だと思いますが、これくらいの彗星をまた見てみたいものです。

星空ナビ

 宇宙関係のソフトウェア・出版などのアストロアーツから、ニンテンドーDSソフト『星空ナビ』が出るそうです。「DS方位センサーカード」というものが、DS本体の角度や方位を割り出し、本体を向けた方向の星空が画面に映し出されるそうです。iPhoneやiPodTouch向けにも『iステラ』という同じようなソフトも同社から出されていますが、発想が面白く、こんなものも出来るのだと感心してしまいます。

満月をすこし過ぎて

 冬の夜空は月が綺麗だったので、満月から満月まで写真を撮ろうとやっていましたが、ここ最近は天気が不安定になってきたようで、満月はすこし過ぎてしまいましたが、最後に綺麗な月を見ることが出来て幸せでした。  いつもこのブログは、Flickrに写真をアップロードしてBloggerへ投稿しているのですが、どうもうまくいかないことがあり、書いた内容が消えてしまったという経験を久しぶりに味わいました。使い勝手も含めてまた考えないといけないでしょうか…BloggerブログなのでやっぱりPicasaなのかなぁ。  消してしまった内容は、SkypeとGoogleEarthがバージョンアップしたことです。

月の光に惑わされて

 まだ2月だとは思えない日差しの暖かさ。北風が吹いていなければもう春なのかと思ってしまいます。あちらこちらの車の屋根には白い灰が積もったまま。 ここからは月の光にあてられた妄想です。  「世界に一つだけの花」という歌が、「オンリーワン」というフレーズとともに何年も前に流行り、この歌の歌詞について恐山院代の南氏が著書でも書かれていたのですが、先日テレビのスイッチを点けるとたまたまこの歌が流れていて、初めて歌詞をちゃんと見ました。  見ていて思ったのは(南氏の書かれた事とかぶる所があるかもしれませんが)、歌詞に書かれている「オンリーワン」と世間で使われていた(いる)「オンリーワン」には意味に温度差があり、世間で使われているのは、みんな違いがあるから個人をそれぞれ敬って大事にしようね、という意味が、個人自由奔放主義のようなものに偏って使われているのではないかということです。それぞれがオンリーワンを目指すなら、それぞれのオンリーワンというナンバーワンを目指すということでしょうか。そもそもオンリーワンとは?  努力してナンバーワンを目指すということは私はいいことだと思いますし、そうしないと人類の発展も無いような気がします。問題なのはそのナンバーワンを目指す方法であり、ひとりひとりが尊敬し合うというオンリーワンとは別の問題であることを、一緒にしてしまっているのではないかと思います。  ただオンリーワンが“もともと特別”だというのは人が勝手に与えた価値観であり、人間としてのおごり、執着の心があるのではないかとも私は思います。花が綺麗かどうかを判断する価値基準は人間が勝手に決めたものだから。

雨の夜に

 米国の新しい大統領が演説の中で、核の脅威を減らす努力を行なうとおっしゃっていて、それならば何よりも先ず、この夏には広島と長崎へ弔問に来てもらいたいと思います。  パレスチナ、ガザで亡くなった方々は1,300人を越え、そのうち子供は410人に上るという報告もありました(イスラエルで亡くなった方は18人)。現地の子供のインタビュー映像を見ていると、精神的にも肉体的にも追い込まれ、もう子供の顔ではなくなっていると感じます。今も世界中の紛争地ではこんな悲惨な光景が日常的になってしまっているのでしょうし、戦時中の日本ででもまた同じことだったのだろうと想像します。  この停戦がいつまで続くのか分かりませんが、双方の誠実な和平への努力を願いたいと思います。

ふだらく

 ある本を読んでいて出てきた『補陀落渡海(ふだらくとかい)』という言葉。何となく知っていただけだったので、改めて調べてみました。  仏教では西方に阿弥陀如来の極楽浄土、東方には薬師如来の瑠璃光浄土などがあるとされているのですが、それと同様に南方には観音菩薩のおわす補陀落山があるとされ、その補陀落(浄土)を目指して多くの僧達が海を渡っていったそうです。  またチベットにおいて、歴代のダライ・ラマ法王が住まわれたポタラ宮の“ポタラ”も、この“ふだらく”という言葉を意味する(サンスクリット語)ものだそうです。ダライ・ラマ法王は観音菩薩の化身ということになっていますので、ポタラ宮という名前の由来に、ここで繋がりました。  補陀落渡海は、紀伊の那智勝浦から海を渡るものが有名なのだそうですが、ただ、“海を渡る”と言っても、大きな船で航海をするというものではなく、ひとつの捨身行で、渡海船といわれる小さな船の中央に小屋を設け、そして中に入った人が出られないように外から釘を打ち付けて、海へ流すというものだったそうです。  今を基準にして考えると滅茶苦茶なことだとしか考えられませんが、また当時においても普通のことであるはずはないでしょうし、今の私には到底想像の及ばないものがあったのだろうとしか書くことは出来ません。そしてこの補陀落渡海には何か、即身成仏と同じような考えが根底にはあるのだろうかと思いました。それとも山岳信仰の荒行の極みであったりするのでしょうか。  Wikipediaには復元された渡海船の写真が載っていますが、小屋の四方には鳥居が備え付けられ、神社を思わせるような特異な形をした船です。  黒潮の流れる大海へと送り出されるこの船の小屋の中で、一体どんな思いを抱いて観音浄土へと向かっていったのでしょうか。 〈参考〉補陀落渡海(Wikipedia)

天体観測 ~さらば昴よ

 先日までと比べて今夜は少しぼやっとしたような夜空ですが、卓上望遠鏡で東の空から上がってきた土星を、可能な限り高倍率にして見ていると、斜め(宇宙空間ではどこを基準にして上下なのか分かりませんが)にかかっている土星の環が、それとなく、けれどもその存在ははっきりと確認できました。この望遠鏡で土星をちゃんと認識して見たのは初めてかもしれません。大きな望遠鏡でなくてもこの望遠鏡でもちゃんと見えるんだと、何となく使っていた子供の頃の自分に教えてあげたいですね。(木星は比較的楽に衛星が確認できるので見た記憶があります。)  写真は昨年撮った中央左アルデバランと右上プレアデス星団(昴)です。冬の星座や昴を見ていると、冬休みに車に揺られ長距離を旅行したことや、その時に繰り返し流れていた『昴』の歌を思い出します。

月光菩薩

 gurdian.co.ukのサイトでガザでの写真・映像を見ていた時、ちょうど外から聞こえてきたサイレンの音が、三日月マークの救急車の映像と重なり、今、自分が一体何処にいるのか分からなくなりました。  終わらないイスラエルのガザ攻撃は、アメリカの政権移行に関係あるのかと邪推してしまいますが、もうすでに正気を失っているとしか思えません。こうして記事を書いている時点でも、パレスチナの人々を一ヶ所の建物へ避難(?)させ、そしてあろうことかそこへ砲撃を加えたという国連発表のニュースが流れ、以前(と言っても数日前です)見た映像ではクラスター爆弾を使っているようなものも流れ(白燐弾?)、“報復”という言葉が子供の言い訳にしか聞こえません。日本はどういう態度を取るのかとずっと思っていましたが、イスラエルに特使を派遣するということをやっと聞きました。  映画『NAKBA』を制作されているジャーナリストの広河隆一氏がおっしゃっている事ですが、1948年のイスラエル建国時に何が起こったのか、そこへ眼を向けないと光は見えないと。  瓦礫の下から見つかった少女の写真に悲しみを感じながら夜空を見上げると、一日降った雨がやみ雲が去った空には、月の光が厳しく優しく降り注いでいました。そしてその光を見て〈月光菩薩 がっこうぼさつ〉と思ったのは今夜が初めてのことです。仏像のイメージではなく形のない捉えることの出来ない光として、けれども何か救いがあるような気がして。  人類が地球上にいる間は、太陽と共に、まさしく〈菩薩〉という名前の如く、地上で何が起こっていようとも、いつまでも平等にその頭上に光を落とし続けるのでしょう。たとえその光を忘れることがあっても、日は昇り、月は満ち、そしてその忘却は自然の摂理から遠く隔絶された人間の悲しみなのだと思います。  ダライ・ラマ法王が、インドのサルナートという場所で七日間の講義を行なっていらっしゃるそうです。このインドのサルナート(鹿野苑)という場所は、ブッダ(お釈迦さま)が最初に教えを説いた(初転法輪)聖地として知られる場所で、また同じくインドで仏教徒を率いていらっしゃる日本人(今はインド国籍)僧侶の佐々井秀嶺氏のことも考えながら、死者の為ではない、生きている者の為にあるはずの仏教の姿に思いを馳せていました。

眠り猫

 昨年末には日本百観音のひとつである秩父三十四観音霊場(埼玉県)の札所巡礼を、個人的なものと、故人の菩提を弔う意味を添えて終えたのですが、大晦日からの断食にはその締めくくりの意味もあったのかもしれません。  東京地方は今日は快晴、しぶんぎ座流星群(アストロアーツより)が見られそうです。多ければ1時間に50個ほどの流星が見られるとか。人々の活動のレベルも低いはずなので、空もいつもより暗いかもしれません。大晦日の昼からずっと眠っていたテレビを久しぶりにつけると、画面がすっきりクリアーになっていて、これもお正月で余計な電波障害がないおかげかななどとも思いました。  ただこの流星群はいつが極大になるのかが分からず、しかもその極大を逃すと急に見えなくなってしまうそうなので、月の沈む夜の22、23時頃から一晩中、北東を中心とした夜空を見上げていなければならないのかもしれません。  もしご覧になる方は、寒いので体調を崩されないようにお気を付け下さい。 (追記)  今年はアポロが月に行ってから40年ですね。本当に月へ行ったのか?という話がありますが、まあ行ったのだろうと私は思います。日本の打ち上げた月周回衛星“かぐや”で、人類が月に降り立ったというその痕跡は見つけられないものでしょうか。今月公開の『ザ・ムーン』という映画が気になるところです。そして今年は世界天文年2009。

Good Bye 2008

 大掃除もほぼ終わり、早めのお蕎麦を食べて、18時からは数日前より心に決めていた断食へ。  皆様にしあわせが訪れますように。  今年も一年間有難うございました。  よいお年をお迎え下さい。

ベツレヘムの星

 くじら座のミラ(Mira)はひょっとしたらベツレヘムの星なのではないか、そしてその変光星のミラをクリスマスに見ようというキャンペーン(アストロアーツより)があるという記事を前に書きましたが、暖かく晴れたクリスマスの今夜、そのミラの姿を見ることができました。  プレアデス星団(スバル)からずっと下へ降りてきて、暗さに目が慣れ見えてきたのは、くじら座のメンカルという星。それ以上は肉眼では無理で、写真に撮りながらミラの場所を確認していました。以前見た時より確実に明るくなっている気がしました。  今夜の空はそれほど澄んではいないようですが、それでもオリオン座(ベテルギウス)やシリウス、プロキオンの冬の大三角形が明るく輝き、スバルやアンドロメダ銀河が双眼鏡でよく見えました。

夜明け前の宇宙ステーション

 日の出を感じる夜明け前の空、空を覆っていた雲も流れ、月と土星に飾られて、予定の時刻に国際宇宙ステーションが姿を現しました。  頭の上の方を通るので長い間その姿が眺められ、また金星かそれ以上に明るく輝きながら、白みかけた北東の方の空へ消えて行きました。