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横浜港

久しぶりの横浜港 久しぶりに横浜港へ行きました。 今日の大さん橋には大型客船の姿はなく、港に花がない感じがしなくもないですが、赤レンガ倉庫のあたりなどは多くの人で賑わっていました。 横浜港(大さん橋から) マンホール 氷川丸 せっかく来たので、氷川丸の中を見学してきました(大人300円)。当時、かなりのお金をかけて造ったそうで、一等の客室や食堂など何度見ても豪華ですね。照明や柱のデザインなどもアールデコ風でずいぶんおしゃれです。屋外のデッキ(船の側舷)は広々として、まだ見ぬアメリカのシアトルに夢膨らませ、椅子に座りながら大海原を眺めたりした人もいたのだろうと想像していました。 (氷川丸からは対岸で催しをやっている実物大ガンダムが見えました) 氷川丸 中華街 中華街はあまり来たことはありませんが。ひとつの通りでは占いのお店が軒をつらねていました。ずいぶん前に来たときは、そこら中で肉まんを売っていたような気がするのですが、だいぶ雰囲気変わったような気がします。お店はいろいろと変わっていくのでしょうが、それとともに街全体も変わっていくのだろうと実感します。お寺(お宮?)の門を見ていると、何だかネパールを思い出しました。中華街もたくさんの人で賑わっていました。 中華街

秩父のスイーツ

秩父のスイーツ  秩父神社でお参りをして、ぶらぶらと街中へ。 いもんぶらん  最近はおしゃれなお店が増えた気がする秩父ですが、今日は“いもんぶらん”を食べに行きました。2回目です。  目の前で作ってくれるのが見ていて面白いです。芋づくしでけっこうお腹もいっぱいになり満足度が高いスイーツです。 いもんぶらん たい焼き  そしてたまに無性に食べたくなるたい焼きも。そういえば、雑誌か何かで有名なたい焼き屋の特集記事があり、載っていた店を目当てに出掛けたりしたこともありました。ただ、2、3件で満足してしまって、その後そんなこともすっかり忘れてましたが…。 たい焼き屋 栗あんの詰まったたい焼き  ひと昔前は、秩父で有名な食べものといえばわらじカツ丼というようなイメージがあり、それはいまでもそうなのかもしれませんが、スイーツを含めてほかにもいろいろなお店があるので、食べ歩きでも楽しめる秩父です。  ただ街中は狭い道でも車がけっこう通るのでお気を付けください。 街中の風景 秩父の街中にもあちらこちらに昔ながらの建物が残っています。 街中の風景 街中の風景 街中の風景 あのはなの風景  アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』を見ていればピンとくるのではないかと思われる線路沿いの風景。奥は三峰口(御花畑、西武秩父)方面で手前が秩父の駅です。左にずっと行くと道の駅、右に行くと秩父神社。 あのはなの風景(左は武甲山)  まだ1月も半ばですが、今日は雨も降り春のように暖かくなる予報。しかし、たまに青空も見えて気温もそこまで高くはなく過ごしやすい一日でした。ただ1月にしては暖かいので、今がいったいいつの季節なのか忘れてしまいがちです。

久しぶりの秩父夜祭

秩父夜祭 3年ぶりの開催  毎年12月の2日と3日に行われる秩父夜祭(埼玉県秩父市)。新型コロナウイルス感染症の影響を受けて、これからどうなってしまうのだろうと思っていましたが、3年ぶりに通常に近い形で開催するとのことで3日の大祭に行ってきました。前回行ったのはいつだったか、秩父には桜を見に行ったり蕎麦を食べに行ったり札所にお参りに行ったりでよく行きますが、夜祭はとても久しぶりに行く気がします。  どのくらい混むのかまったく不明だったので、駐車場が開く時間を目指して家を出発。駐車場はまだかなり余裕がありました。12月の秩父はなかなか冷えます。パンを食べたりしてしばらく時間をつぶし、道の駅に寄りながら、まずは秩父神社を目指しました。神社の周りではあちこちで食べ物の屋台の準備が始まっていました。 秩父神社にて  秩父神社の境内に入ると建物の前に人だかりがあり、何かと思って近づくとご神馬が2頭草を食んでいました。お神輿を見て、本殿(手前)でお参りをしぐるっとひと回り。竜の彫り物が色鮮やかでした。 ご神馬 お神輿 竜の彫り物 日中の夜祭  秩父夜祭はお昼を挟んで一日中どこかで何かが行われています。山車(笠鉾2台・屋台4台)の引き回しだったり、祭り囃子だったり、神事(の舞い?)だったり、歌舞伎だったり。SLも走っていました。あちこち歩いているとあっという間に時間が過ぎます。 秩父神社の境内にて 山車(屋台)の装飾 SLパレオエクスプレス 夜の夜祭  道の駅でお昼を食べて一度駐車場に戻り、朝早かったので仮眠を取って、暗くなる前からまた秩父神社へ向かいました。山車の引き回しが始まるまで時間をつぶし、街の中を散策したりしていましたが、以前と比べて人は少なく6~7割といったところでしょうか。  あたりも暗くなるといよいよ提灯を持った人たちがやってきました。御神馬、お神輿、そして笠鉾や屋台の山車。花火も打ち上げられています。  花火が終わり交通規制が解除されると御旅所に入れるとのことで、日付もそろそろ変わろうとするところですが、今回初めて行ってみました。  そこで見たのは笠鉾と屋台が並ぶ、ポスターなどでよく目にする光景でした。月も明るく照っていて記憶に残る夜祭でした。 提灯行列 山車(屋台)の引き回し 山車(笠鉾)の引き回し 山車(屋台)の引き回し 山車(屋台)の引き回し 山車(屋台)

エベレストを背景に

エベレストを背景に シャンボチェの丘で山の写真を撮っていると、ガイドさんがカメラを貸してくれというので何かと思ったら、エベレストを背景に写真を撮ってくれるという。それではとお願いすると、立つ場所や格好を指示され、やっとOKが出て、どんな写真を撮ってくれたのかと見てみると、背景にはエベレストとローツェなどの山々と青い空だけという、すごいところを歩いているようなアングルの写真で、とてもいい記念になりました。  写真をそのまま載せるのも面白くないので、イラスト風の絵に起こしてみました。画像処理をして輪郭を検出するなどすれば多少楽になるのかもしれませんが、絵の練習もかねて一からトレースしています。 エベレストを背景に。左がエベレストで右がローツェ。

ヤクチーズ

ヤクとナク ネパールのエベレスト街道を歩いていて、一番よく見かける動物は、圧倒的に荷物を運んでいるゾッキョです。  ゾッキョは牛の仲間であるヤクの雄とウシの雌をかけ合わせた生き物ですが、そのヤクの雌も当然いて、それはナクと呼ばれるそうです。  同じ種だけれど、雄をヤクと呼び、雌をナクと呼ぶそうです。なので、ガイドさんに言わせると、街道沿いのロッジの看板などに書かれている、「ヤクチーズ」はおかしい、「ナクチーズ」のはずだと力説していました。

ヒマラヤ街道とカトマンズ

ヒマラヤ街道トレッキングとカトマンズの旅行記 ネパールでのヒマラヤ街道トレッキングとカトマンズ散策の旅行記を書きました。2018年秋に訪れました。 ヒマラヤ街道トレッキング 世界一高い山、エベレストへとつながるヒマラヤ街道を歩きます。 エベレスト遥か遠く(ヒマラヤ街道にて) カトマンズ散策 カトマンズの街中の散策や、ヒンズー教のパシュパティナート、仏教のボダナート訪問記です。 カトマンズのボダナートにて

カトマンズ:死と生を感じる場所

ネパールの首都カトマンズにある世界遺産、パシュパティナート(ヒンズー教)とボダナート(仏教)は、死と生を感じる場所。

カトマンズ・タメル地区散策

カトマンズの繁華街のひとつであるタメル地区を散策したときの雑感です。 雑然としていながら、再び訪れたい魅力のある街でした。

カトマンズ点描

昨年のネパール旅行、首都カトマンズでタクシーに乗った雑感を更新しました。 砂ぼこりの舞う道路は交通量も多く、混沌としていました。

山と高原

しばらくのブランクを経て、ふたたび山や高原へ行きはじめました。 ----------甘利山・千頭星山 ----------八島湿原・車山 ----------朝日岳・金峰山 ----------アヤメ平・尾瀬ヶ原 ----------朝日岳

海が見たくて

 江ノ島へやって来た。  薄曇りの白い空が眩しい。  日本海とは違って、湘南の海は明るいというひとがいたが、確かにそうかもしれない。  観光客で賑わう江ノ島は、誰もがみな明るい表情をしているように感じる。  洋上には海上保安庁の船が佇んでいたが、船首をこちらへ向け、“風の谷のナウシカ”のワンシーン、大きな王蟲がこちらをじっと見つめている様が頭をよぎる。

払沢の滝

 払沢(ほっさわ)の滝は凍り始めていた。日本の滝百選に選ばれている滝で、しかも東京都(桧原村)にある滝だ。前回訪れたのはおそらく10年以上も昔だろう。リバーサルフィルムが残っている。この辺りには他にも滝があり、払沢の滝入口の開けた場所からは、向うの山肌に天狗滝が見えた。  滝は凍っていても、今日は空気は暖かく、しかもアクセスは容易だった。  三脚を立てファインダーを覗いていて、滝はやっぱり50mmくらいのレンズで見るのが素直で好きだと再発見した。これはやはり、50mmのフィルムカメラから写真を撮り始めたからだろう。しかし逆にいえば、そこから抜け出せないでいるのだろう。  どんな構図で写真を撮るのかはいつまでたっても難しく、自分は単焦点レンズという縛りをかけた方が、まだましな写真が撮れるような気がする。  昔はライフワークだとすら思っていた滝の写真撮影を最近はサボっているので、時間を作って撮りに行きたい。最近意識して滝を撮ったのは、2013年の夏の御嶽山の滝だったろうか。  帰りに阿伎留(あきる)神社へお参りに寄る。鎌倉時代より前からある神社だそうだ。

太平洋への旅

2015年の幕開け。 電車を乗り継いで東の方へ。 夜は空気が澄んで、月がとても明るいのに、オリオン座がよく見えた。 九十九里浜の海岸は風が吹いてとても寒い。 海岸の近くで見た馬。人馴れしていてとてもかわいい。乗馬の体験もできるそうだ。そういえば、一昨年に会った木曽馬たちは元気にしているだろうか。

梅雨の中休みに

 土曜日は長野へホタル観賞に行く。ただ駐車場が混むそうなので、ちょっと別の所にも寄り、早く行くことにする。昼には中央自動車道を下り、昨年行った茅野の蕎麦屋で昼食をとる。次に山下清放浪美術館へ行くが、ここが良かった。いろいろな作品が展示してあり、また解説もしてもらったので、とても興味深かった。今回はここが一番良かった。暗くなる前にホタルのいる公園へ行き、ホタルを見て帰る。  ここ最近、中央道を家に向かって走り、事故のあった笹子トンネルを通るたびに鳥肌が立つ。トンネルを入ってすぐから続くコンクリートが剥き出しの天井がとても気味が悪いし、場所によって変わるアスファルトが事故現場を思わせる。毎回ここを通るたびに本当に鳥肌が立つが、それは怖いという感情ではなく、誰にでも起こりうる事故であったし、こんなひどい人災に遭い、亡くなった方々はさぞ無念だったろうという思いから来ているように思う。  日曜日の今日は、護国寺でチベット佛教の勉強会。すっかり夏の陽気だ。

秩父観桜紀行

 今年も桜の季節の秩父へ行く。すでに散っている桜もあるようだが、花の咲き方は場所と日にちでずれるので、今年はどんな桜に出会えるのか楽しみだ。  まずは秩父札所29番の長泉院。お寺の入り口のエドヒガンは、今年もほとんど散っていたが、境内のしだれ桜や水仙やツツジなどがとても鮮やかで綺麗だった。  次は清雲寺。ここのエドヒガンもほぼ散っていたが、しだれ桜などがとても綺麗だった。大きなしだれ桜とお堂のある風景がとても好きだ。人はそれなりに訪れていたが、しばらく待つと人通りが切れる時間があるので、その時を狙って写真に収める。  清雲寺の隣にある若御子神社では、すっきりした境内に咲く桜(ソメイヨシノ?)と、舞台や狛犬(山犬?)との組み合わせが美しい。  最後に訪れたのは、清雲寺から少し離れた場所にある昌福寺。  ここは震災の年に初めて訪れ、その時も花々はよく咲いていたが、今回はその時にもまして、すべての花々が一時に満開になったのではないかと思われるほどの、まさに百花繚乱の景色だった。これ以上ないほどの、よい冥途のみやげになった。この風景をまざまざと心に刻むことができれば、他には何もいらない。  人心が廃れた世の中にあっても、このような情景を美しいと感じることのできる何かが、すべての人間の心にカケラでも残っていれば、少しは希望のある世界になるのではないかと思うし、また、ヒトという生きものが、地球上で少しばかり長く存続できるのではないかと思う、そんな春の秩父観桜紀行であった。

雪の国への旅(余話)

“ほたるまんじゅう”の話 群馬県と新潟県の県境にそびえる谷川岳連峰。岩登りのメッカとして有名な一ノ倉沢を抱えるこの山々は、標高は2000m級とそれほど高くはないものの、その位置する気象条件などから、3000m急の山々に匹敵するものとして知られる。昔から数多くの遭難者が出ており、魔の山ともいわれることがあり、殉難の碑も建てられている。  今回の旅の帰路も、この谷川岳の真下に掘られた清水トンネルを通るわけだが、暗いトンネルの中を揺られ、ごおという電車の音を耳にしているうち、旅の疲れを感じているつもりはなかったが、うつらうつらと夢うつつになっていた。  上り方面の清水トンネルは10分も経たないうちに外へ出るのだが、その短い時間のうちに、急に脳裏に“ほたるまんじゅう”という言葉が浮かんできた。清水トンネルを抜けると、電車は土合駅、湯檜曽(ゆびそ)駅、水上駅と停車し、水上駅で高崎行きの電車に乗り換える。  自宅に戻り、“ほたるまんじゅう”とは一体何なのだろうと検索してみると、ホタルで有名な辰野(長野県)では、お土産として売っているようだが、ここのまんじゅうはアンパンのような外観で、頭に浮かんだものとは少し違っていた。  谷川や水上と関係のある“ほたるまんじゅう”もあるのだろうかとさらに調べてみると、水上駅の一つ先、湯檜曽駅の近くに“ほたるまんじゅう”を売っているところがあるようだ。こちらのまんじゅうは想像していたものに近い外観の写真が載っていた。  今回の旅のどこかで“ほたるまんじゅう”の文字を目にした記憶はなく、またそんな饅頭があるのか、存在すら意識したことのない“ほたるまんじゅう”。  清水トンネルの中で体験した、この白昼夢のようなものは何だったのだろうか。

雪の国への旅(3日目)

雪の国への旅 再び北を目指して カーテン開けると、夜明け前の白い北アルプスが見えた。山の端は薄紫色に縁取られている。昨晩買った手作りのパンを口に押し込み、牛乳をひとくち、ふたくち。山の頂は徐々に朝日に照らされ、輝いてくる。  ホテルを出ると、冷たい朝の空気に身が引き締まる。駅にはさすがに人も少ない。  昨晩やっと決めた行程は、この松本から再び北を目指し、新潟から国境の長い清水トンネルをもう一度抜け、まる一日かけて家まで帰るというもの。  これから乗り込む篠ノ井線を待つ反対側には、甲府へ向かうあずさが止まっている。幾人かの乗客を乗せ、8時少し前に走り去っていった。  松本から長野までは昨日と同じ行程だが、時間が早く感じられる。姨捨駅でも停車時間はあまりなかった。風景をゆっくり見ることの出来た昨日は幸運だったのかもしれない。 長野駅 長野駅に着いた。次の電車までにはしばらく時間があるので、駅弁を探しに改札を出る。売店はやっているが、お土産が中心で弁当は見当たらない。駅から外に出てみるが、あたり一帯は工事用の壁で囲まれ、しかもまだ時間が早いため店もほとんどやっていなかった。どうりで構内のコーヒー店のレジに行列が出来ていたわけだ。  再び改札の中に入り売店を探すと、ちょうど店頭で駅弁を並べているところだった。彩りのきれいなものを買い求めプラットフォームに下りると、すでにたくさんの人が並んでいた。 飯山線 飯山線は長野駅を発車し、千曲川の流れにそって走っていく。乗客は多く通勤電車のようだ。川の側をずっと走る電車に乗った経験は、これまでなかったかもしれない。  途中の駅で車両が切り離され、そこから先は1両での運転になる。  春に星峠などの棚田を見に訪れた松代を通り、十日町駅に着く。ここで電車を乗り換えるものだと思っていたが、今乗っている電車がそのまま走っていくようだ。待ち時間が50分ほどあるので、車内で駅弁を広げる。プラットフォームには雪が積もっており、空気が冷たく、暖房で温まりすぎた体にはちょうどよかった。  発車の時間が迫ってくると、これまでの待ち時間がとても短かったように感じられる。電車はここから越後川口駅へ向かう。  単線のおだやかな風景のなかを進み、いくつかトンネルを抜け、橋を渡る。着いた駅で電車を降り、線路をくぐって反対側のプラ

雪の国への旅(2日目)

雪国への旅 柏崎の朝 夢の中で夢を見ていた。寝苦しい夜が明け、部屋のカーテンを開けると、柏崎の街は白く雪に覆われていた。  米山も見えていたが、出発の支度をしているうちに、雪―もしくはあられだろうか―が降り、近くの町並みさえ霞んで消えてしまった。  昨晩買っていたパンを頬張り、急ぎチェックアウトを済ませる。駅はホテルの目の前にあるが、アスファルトにうっすらと積もった雪に足をとられそうになる。 日本海を走る 風の影響で電車は少し遅れていたが、駅のプラットフォームで冷たい風に吹かれながら待っていると、やがて顔に雪をかぶった車両がやってきた。  電車に乗り込み、足元のヒーターの暖かさを感じながら、車窓を流れる、昨日より穏やかな海を眺めていた。佐渡は今日もなかった。波打ち際に打ち寄せる波のしぶきが、もやのようにわき上がっていた。  雪はもうやんだかに思っていたが、少し内陸を走っていると思ううちに、窓の外は白くなり、止まった駅には雪が積もっていた、何時間も電車に乗っている訳ではないのに、天候は次々に変わっていく。  再び遠目がちに海が見えるようになり、開けた空の向こうに白い山が見えてきた。北アルプスの北の端に当たるのだろうか、それとも富山の山なのだろうか。川を渡ると直江津の駅に着いた。  次は長野駅に向かってここで乗り換える。私の乗る電車はプラットフォームの反対側に待っていたが、駆けるようにして階段を上っていく人達もいた。 日本海から内陸へ 直江津駅から信越線に乗り南に向かうと、風景はがらりと変わった。空はすっきりと晴れ渡り、さわやかな朝日の光が降り注ぐ。照らされた雪の形から、このあたりにはおそらく田園風景が広がっているのだろう。  車窓の右手には、雪に覆われた高い山―おそらく妙高山だろう―が聳えている。電車がぐるりと大きなカーブをまわると、走ってきた2本のレールが見えるが、ほとんどが雪に覆われた銀世界の風景が広がっていた。  黒姫高原、野尻湖、戸隠、名前だけ知ってはいるが、どんな土地なのだろうか。一度訪れてみたいものだ。 峠を越える 人家や工場とおぼしき建物が多くなってきたと思っていると、まもなく長野駅に着いた。ここで篠ノ井線に乗り換え松本に向かう。時間はちょうどお昼前。駅そばを手にし、まだ止まっている車内で食べている人達がいた。だし

雪の国への旅(1日目)

雪の国への旅 1日目:2013年12月28日 旅の始まり 『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。』  誰もが知っている川端康成の「雪国」の始まりの一節だが、高校生の頃にこの小説に出逢い、温暖な気候の土地で育った私にとって、この雪国はずっとあこがれの存在であり続けていた。  いつか、トンネルを抜けた先にある雪国を見てみたいと思っていたが、それから幾年月が流れたことだろう。いつしか冬の日本海を見たいという気持ちも生まれ、この年の暮に、青春18切符を手に新潟へ鉄道の旅に出ることにした。 青空の広がる関東平野 本州の日本海側は荒れた天気となっており、鉄道の運行に支障はないのか若干の不安が頭をよぎるが、そんな不安よそに、関東平野には青空がどこまでも広がっていた。  電車は新宿駅を滑り出し、北へと向かう。秩父や群馬北部の山々が見えてくるにしたがって、空にも少しずつ雲が浮かび出した。車窓の右手前方には赤城山が見えてきた。 国境の長いトンネル 高崎駅を発車ししばらくすると、左手の車窓には榛名山と、遠く白く霞んだ草津方面の山が見えてきた。水上駅に近づくにつれ、田んぼには溶け残ったなごり雪のようなものが見られるようになり、前方には谷川岳などの国境にある山々が現れ、それらはどれも雪に覆われ白く輝いていた。  水上駅に着くと駅舎と線路は雪に覆われていた。帰省やスキー客の人々だろうか、多くの乗客とともに連絡橋を渡り、長岡行きの電車に乗り換える。水上は谷川岳の麓にあるひらけた温泉街だが、ほとんどの乗客は下りることなく、このまま雪国へ向かうようだった。  高崎駅へ戻る電車には乗客の影はまばらで、電車が走り去った後のプラットフォームを歩く男女の姿が印象的だった。 雪国 トンネルを越えると、そこは確かに雪国だった。  群馬県と新潟県の県境に聳え立つ谷川岳。その山々の下に掘られた清水トンネルを電車は走り続ける。電車のごうという音にかき消されがちな乗客の話し声を耳に、このトンネルはいつ終わるのだろうと思っていると、電車の音がふいに軽くなり、車窓には一気に真白い世界が広がった。山をひとつ越えただけでこんなにも世界が違うものだろうか。  それから電車は幾つかのスキー場を辿りながら北を目指す。途中の駅で乗ってきた地元の学生の帰省ラッシュという言葉が新鮮に聞こえる。雪