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写真と絵画

 先日“ねむの木こども美術館”へ絵を見に行き、改めて思ったことは、例えばある風景を写真と絵画で表現しようとして、片方は何百万円もする機材を使って撮ったとしても、もう一方のたった一本のちびけた鉛筆で描いたものの方が強く印象に残り、その風景がより深く表現されているように思えるかもしれないということです。  そもそも写真と絵画を比べることがナンセンスだとは思いますが、共に視覚へ訴えかける表現手法として、写真の立場とは一体何なのかと思います。ある写真に対して、見る方・見せる方お互いに何らかの共通の土台がなければ、何も共感を得ることは出来ず、単なる自己満足になるのだろうと、自戒を込めて思います。

梅雨の合間に

 公園に蝶を見に行きました。一匹のベニシジミがするっと飛んできて、近寄っても逃げなかったので、カメラのレンズをぐっと近づけて写真を撮りました。写真を撮ったカメラは広角レンズなので、数cmまで近づいたマクロ撮影でも、一部分だけクローズアップされることはなく、こんな感じで写ります。  後から横から前から上から動画もといろいろ撮りましたが、飛んで逃げることもなく(湿気で羽が濡れていたから?)、こちらの方からおいとましました。  場所を変えて蝶を探していましたが、雨が急に降り出したので今日はこれまで。いま持っているカメラは防水機能など付いていませんが、天気の悪い時こそ写真を撮りたくなるので、こんな日は防塵・防滴のカメラが欲しくなってしまいます。  今日はツマグロヒョウモンは見かけませんでしたね。

御前崎へ

 “ねむの木こども美術館”から海へ向かって南下。御前崎灯台を目指します。  御前崎灯台の手前に駐車場があり、防波堤から海へ下りられそうだったので寄ってみました。  久しぶりに砂浜を歩いていると、貝殻や海藻が打ち上げられていてタカラガイを探して拾いました。今日は日本のいろいろな場所で真夏日になったようですが、潮風にずっと当たっているとさすがに体は冷えてきました。 (サーフィンの大会をやっているようで、家に帰ってからインターネットで調べてみると“ジャパンプロサーフィンツアー2009ロングボード第2戦”という大会が開催されていたそうです。)  太陽が沈みかけたころようやく御前崎の展望台へ行くと、灯台は明かりを灯しちゃんと動いていて、また灯台そのものもライトアップされていました。すぐ脇の展望台からは太平洋がぐるっと見渡せ、眺望の良い場所でした。薄暗くなっていましたが、海の色も綺麗でした。  この辺りの海岸へは、ウミガメが産卵に来るそうです。

“ねむの木こども美術館”へ

 静岡県掛川市にある“ねむの木こども美術館”へ。東名自動車道は途中、事故で渋滞していましたが、そこを抜けると車は流れていました。晴れてはいましたが富士山はあまり見えず、足柄SAで見たのが最後になってしまいました。(写真中央の左下)  静岡県の掛川I.C.で高速道路を降り、掛川城の天守閣を見ながら北へ進みます。途中少し狭い道を通って行くと(他にも行き方はあるようですが)、道路の両側の壁がタイルで飾られた“ねむの木学園”への入口が見えてきます。  道なりにしばらく走って行くと、山の斜面にそって建てられた“ねむの木こども美術館「どんぐり」”の特徴的な建物が見えてきました。ここは鳥の声と川の音だけが聞こえるとても穏やかな場所で、郵便配達員の赤いバイクが通り過ぎる姿は、映画やアニメの1シーンを想像させます。  美術館の建物の中は床から壁から天上から一面真っ白で、目が慣れるまで少し時間がかかりましたが、日常世界と切り離されたようなとても不思議な空間でした。  壁にはたくさんの作品が展示され、見ていてどれもいいなと感じるものばかりでした。この絵を描いた方たちは皆さん身体に障害をお持ちで、描くのが困難な方もいらっしゃるのでしょうが、それだからどうということは全く関係なく、それぞれが素晴しいアーティストだと思います。  こういう絵には全く興味が無い人もいると思いますが、ぜひ一度じっくり鑑賞してみることをお勧めします。いろいろと見ていて『自分はこういう色も好きなんだな』と気付かされる絵もありました。大きな作品が多いのが印象的でした。  美術館は2階からずっと見て行き、斜面の上にある扉から出てきます。草原の庭をぐるっと歩いて1階へ降りて行くと、途中柿の実が出来始めていたり、ネジバナが綺麗に咲いていました。建物の白い壁に描かれた花の絵が可愛いですね。  “どんぐり”の少し先にもうひとつのガラス張りの美術館“「ねむの木緑の中」”はあります。こちらにもたくさんの作品が展示されていて、とても充実した時間を過ごしました。

インドへ

 日本を訪れていた(44年ぶりに帰国されていた)インド仏教徒の先頭に立っておられる佐々井秀嶺師がインドへ、佐々井師を真に必要とされている方々の待つインドへ帰国されたそうです。もう二度と日本の地を踏むことはないでしょうから、とても寂しく思います。  『ブッダンサラナンガッチャーミ・・・』護国寺で聞いた佐々木師の声は今でも身体の中で響いています。  本日は沖縄の“慰霊の日”。本を読み写真や絵画を見てひめゆりの塔などの戦跡へも行き、私にとっても忘れられない日になっています。太平洋の島々での戦闘はどこでもそうだったのでしょうが、南国の海の青さを美しいと思う心と、人間同士の醜い争いを思うとき、その両者のあまりにも大きな隔たりに愕然とします。

梅雨

 湿度をいっぱいに含んだ風が吹き、湿った空気が肌にまとわりつきます。雲の間に見える暗い空間が美しい。  明日は沖縄“慰霊の日”。先日も憲法9条を変えて云々という政党のビラが入っていましたが、戦争の現実をもう少し明らかに見るべきだと思います。誰か他人の話ではなく、おそらく自分とその周りの人間が犠牲になるのでしょうから。  この日の沖縄はいつも晴れているような気がしていますが、明日も晴れるようですね。

アラカン

 アラサー、アラフォーという言葉を使っているのは知っていましたが、“アラカン”という言葉は最近になって知りました。何のことだか分かりませんでしたが、還暦前後の“アラウンド還暦”のことだそうですね。  私が“アラカン”と聞いてすぐに思い浮かべていたのは、“阿羅漢”、五百羅漢や十六羅漢の“羅漢”のことで、哄笑している石仏がお寺の庭に安置してあったりしますが、この言葉は上座部仏教ですぐれた人を表す尊称のことだったと思います(正しい言葉の使い方ではないかもしれません)。  人間が還暦まで生きることが出来れば、ただそれだけで(望めば)どんな人でも阿羅漢になれるのならば、世界はもっと違ったステキなものになるのかもしれませんが、なかなかそうはいきませんね。  しっとりと雨の降る美しい夏至の夜に。