バラの花
最近はスマートフォンで写真を撮ることが多く、一眼レフのカメラで写真を撮る頻度がめっきり減りましたが、ファインダーを覗き、そこに表示される数値を見ながら耳元でシャッター音を聞き、ミラーの開閉するかすかな振動を感じていると、いつまでもシャッターを押していたい衝動に駆られます。
一眼レフのファインダーを覗いてシャッターを押すのと、スマートフォンの液晶画面を見て写真を撮るのとでは、視界に入ってくる情報量が違うので、どちらがいいとかよくないとかではなく、対象物への向き合い方というか、対象物との関係性が変わってくるような気がします。
ついでに、日本語の「写真」は英語で「picture」とか「photograph」に置き換えられるのだと思いますが、写真を芸術作品として捉えるなら「photograph」の言葉で表現するのが好きです。ただそうすると、英語の「photograph」に“光で描く”というような言葉のイメージがあるのに対して、日本語の「写真」という“真実を写す”というような言葉に違和感を覚えてしまいます。
「写真」というものを知らない時には、いわゆる“撮って出し”でなく加工を施したものは、真実を写していないのではないかなどと思ったりしたこともありましたが、光を閉じ込める時点で(昔ならフィルムなどへ、今ならデータへ)すでに加工されていて、そもそも同じものを見ても人それぞれ見え方(光の感じ方)は違うものだし、そこから受ける印象も違うはずで、撮り手の意図を表現するのに多かれ少なかれ加工するのは当然なのだと思います。
そんなことを思うと、「写真」という言葉ではなく“光で描く”というような表現に近いもっといい日本語があるようにも思うのですが、一方で、目に写ったそのままではなく、その内面に潜む真実を描く表現をしているということなら、やっぱり「写真」の言葉でいいのかとも思い、堂々巡りをしてしまいます。
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