原爆、水俣病、安保、学生運動、三里塚、自衛隊、兵器産業など問題を扱ってこられた、報道写真家、福島菊次郎氏のドキュメンタリー映画『ニッポンの嘘』(http://bitters.co.jp/nipponnouso/)を観てきました(8月10日)。
現在91歳でいらっしゃるそうですが、原発事故後の福島へも足を運んでいらっしゃいます。歩いたり筋力を使うことはさすがに若い頃のようにはいかないようですが、被写体を捉える目と、カメラを一瞬で構えて撮影するその姿、写真を撮るという行為に関しては、全く衰えを知らないのではないかと思えます。 4年前の講演会で拝見した時よりお若くなっているのではないかとさえ思いました。(すっかり忘れていましたが、2008年の講演会の記事を書いていました)
福島氏の言葉には考えさせられることが多いのですが、『問題自体が法を犯しているなら、カメラマンは法を犯しても構わない』とは、とても強烈でした。
この映画を観て、自分にとっての“写真というもの”は、ただ美しい、とか、ただ楽しい、とかではなくて、人間や社会の本質に迫ろうとする、ジャーナリズム的なものなのだなということを改めて感じました。どうしてそういうものに惹かれるのかと自問したときに、人間とはいったい何なのか、ということに繋がるためのツールになるからではないのか、との思いが浮かんできました。
現在91歳でいらっしゃるそうですが、原発事故後の福島へも足を運んでいらっしゃいます。歩いたり筋力を使うことはさすがに若い頃のようにはいかないようですが、被写体を捉える目と、カメラを一瞬で構えて撮影するその姿、写真を撮るという行為に関しては、全く衰えを知らないのではないかと思えます。 4年前の講演会で拝見した時よりお若くなっているのではないかとさえ思いました。(すっかり忘れていましたが、2008年の講演会の記事を書いていました)
福島氏の言葉には考えさせられることが多いのですが、『問題自体が法を犯しているなら、カメラマンは法を犯しても構わない』とは、とても強烈でした。
この映画を観て、自分にとっての“写真というもの”は、ただ美しい、とか、ただ楽しい、とかではなくて、人間や社会の本質に迫ろうとする、ジャーナリズム的なものなのだなということを改めて感じました。どうしてそういうものに惹かれるのかと自問したときに、人間とはいったい何なのか、ということに繋がるためのツールになるからではないのか、との思いが浮かんできました。
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