ビルマ人のジャーナリスト団体で、長井健司賞というものが創設されたそうです。「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」より。
昨年のミャンマー軍事政権に対する一連のビルマ人僧侶や一般市民のデモ、そして長井さんの事件というものは、ビルマの方達にとってはそれほどまでに大きなものだったのだと改めて思います。(その後のサイクロン被害、そして変わらぬ軍事政権による抑圧は続いています。)
たとえ日本人の記憶から長井さんの事件が薄れていくことがあるとしても、アメリカのピューリッツァー賞、そしてこの長井健司賞がある限り、ずっと忘れられることが無いのが唯一の救いに思えます。
長井健司さんの遺品のビデオカメラはいまだ返還されず、そしてこの国はミャンマーの軍事政権に対しても曖昧な態度しかとっていないようにも見受けられます。今後、軍事政権とどのような外交を培っていくのか分かりませんが、場合によっては日本に対してよく思わない人も出てくるのだろうと思います。ただその狭間に長井健司さんという存在があるおかげで、起こるかもしれない逆恨みからなどによる凶行を、思いとどまらせることになりうるのではないかとも思います。いや、そうあって欲しいと願います。政治的なものではなく、こんな立派な日本人もいるんだと個人の心に刻まれたものとして。
これからの日本とビルマの関係(ミャンマー軍事政権とではなく)で、長井健司さんの存在はとても大きなものになっていくような気がしています。
暖かい風を呼んでいた強い低気圧が東に去り、冷たい空気が流れ込み、夜空は次第に晴れてきました。
昨年のミャンマー軍事政権に対する一連のビルマ人僧侶や一般市民のデモ、そして長井さんの事件というものは、ビルマの方達にとってはそれほどまでに大きなものだったのだと改めて思います。(その後のサイクロン被害、そして変わらぬ軍事政権による抑圧は続いています。)
たとえ日本人の記憶から長井さんの事件が薄れていくことがあるとしても、アメリカのピューリッツァー賞、そしてこの長井健司賞がある限り、ずっと忘れられることが無いのが唯一の救いに思えます。
長井健司さんの遺品のビデオカメラはいまだ返還されず、そしてこの国はミャンマーの軍事政権に対しても曖昧な態度しかとっていないようにも見受けられます。今後、軍事政権とどのような外交を培っていくのか分かりませんが、場合によっては日本に対してよく思わない人も出てくるのだろうと思います。ただその狭間に長井健司さんという存在があるおかげで、起こるかもしれない逆恨みからなどによる凶行を、思いとどまらせることになりうるのではないかとも思います。いや、そうあって欲しいと願います。政治的なものではなく、こんな立派な日本人もいるんだと個人の心に刻まれたものとして。
これからの日本とビルマの関係(ミャンマー軍事政権とではなく)で、長井健司さんの存在はとても大きなものになっていくような気がしています。
暖かい風を呼んでいた強い低気圧が東に去り、冷たい空気が流れ込み、夜空は次第に晴れてきました。
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