テレビからは毎日動く映像が流され、それを見ているとあたかも本当に動いているように錯覚してしまいますが、けれども実際には映像は(おそらく)全て、画像をひとコマひとコマ繋げるという方法から成り、コマ数を増やして時間の最小単位(仏教の言葉で“刹那”といいます)に当たる無限に微細な時間の、その時の画像を繋げていけば本当の意味での動画が撮れるようになるのでしょうが、時間の最小単位などはあるのかどうか分かりませんし、そんな時間と光の伝わる速さとのずれもあるでしょうし、そもそも人間の眼にはそんなものは必要ないのでしょう。
一方で、写真のフィルムにはシャッター速度の短いものでも数千分の一秒、長いもので何時間もの光が蓄積され、被写体の発する、または反射する刹那の光の繋がりがアナログ的に記録され、光を通してという制約はありますが、むしろこちらの方が本当の意味での動画と呼べるものに近く、時間の痕跡を見出せるのではないかということを思いました。
映像には音声というとても大事な要素があるので、それを忘れてはいけませんね。
一方で、写真のフィルムにはシャッター速度の短いものでも数千分の一秒、長いもので何時間もの光が蓄積され、被写体の発する、または反射する刹那の光の繋がりがアナログ的に記録され、光を通してという制約はありますが、むしろこちらの方が本当の意味での動画と呼べるものに近く、時間の痕跡を見出せるのではないかということを思いました。
映像には音声というとても大事な要素があるので、それを忘れてはいけませんね。
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