子供たちにカメラを持たせて写真を撮ってもらおう、という話は以前にも聞いたことがありましたが、最近になってKids with Camerasというプロジェクトがあることを知りました(サイトのKid's Galleryから写真を見ることが出来ます)。
恵まれない境遇にいる子供たちにカメラを渡し、写真を撮ることによって自信や希望を持ってもらいたい。またその子供たちが撮った写真を販売して子供たちのために役立てようというものです。そしてもうひとつ、子供たちに写真を教える写真家を世界へ派遣することも目標にされているようです。
このプロジェクトは『Born into Brothels』というタイトルで映画化され(これは“売春街に生まれて”という意味でしょうか)、『未来を写した子供たち』というタイトルで日本でも上映されているようです。サイトで予告編を見ることが出来ます。
子供たちの撮った自由な写真を見ていると、そのうちのたった一枚でさえ、構図がどうとか露出がどうとかそんなものは超越して、人間が生きているとはこういうことなんだという“生”が生々しく伝わってきます。写真にはいろいろな種類のものがありますが、私にとってはこういう写真こそが本当の写真なのではないかと思われます。
先日テレビで『誰も知らない泣ける歌』というのを放送していて、昨年ミャンマーで亡くなったジャーナリストの長井健司さん作詞・作曲の歌が流れていました(「もう会えない」)。一度聴いただけで憶えられるはずはないのですが、上の記事を書いている時にその曲のどこかの部分が頭の中を流れていました。
恵まれない境遇にいる子供たちにカメラを渡し、写真を撮ることによって自信や希望を持ってもらいたい。またその子供たちが撮った写真を販売して子供たちのために役立てようというものです。そしてもうひとつ、子供たちに写真を教える写真家を世界へ派遣することも目標にされているようです。
このプロジェクトは『Born into Brothels』というタイトルで映画化され(これは“売春街に生まれて”という意味でしょうか)、『未来を写した子供たち』というタイトルで日本でも上映されているようです。サイトで予告編を見ることが出来ます。
子供たちの撮った自由な写真を見ていると、そのうちのたった一枚でさえ、構図がどうとか露出がどうとかそんなものは超越して、人間が生きているとはこういうことなんだという“生”が生々しく伝わってきます。写真にはいろいろな種類のものがありますが、私にとってはこういう写真こそが本当の写真なのではないかと思われます。
先日テレビで『誰も知らない泣ける歌』というのを放送していて、昨年ミャンマーで亡くなったジャーナリストの長井健司さん作詞・作曲の歌が流れていました(「もう会えない」)。一度聴いただけで憶えられるはずはないのですが、上の記事を書いている時にその曲のどこかの部分が頭の中を流れていました。
コメント
コメントを投稿