先日梅雨明けした沖縄は明日、平和・慰霊の日を迎えます。やまとんちゅがこの日をどれだけ知って意識しているかは分かりませんが、戦争と共に、同じ日本人同士の間においてでも様々な悲劇が起こってしまったということを、人の心の闇を見ることになるのかもしれませんが、目をそらさずに伝えていかなければならないのだと思います。
以前読んだ『リーラ 神の庭の遊戯』(玄侑宗久著/新潮社)に出てきた「まぶい」という言葉。沖縄の方で「たましい」のようなものを意味する言葉だそうで、人は生まれながらにして「まぶい」を何個か持っているそうです。けれども、驚いたり、衝撃的な出来事があるとその「まぶい」を落としてしまい、体調を崩したりしてしまうことがあるそうで、本の中では(ここでいうものとはちょっと違いますが)その「まぶい」を戻す儀式の様子が描かれていました。
今までの自分を思ってみても「まぶい」を落としただろう場面はいくつもありますが、昨今のいろいろな悲しい出来事を見聞きしていると、現代人は「まぶい」をたくさん落としすぎているのではないかと考えてしまいます。
以前読んだ『リーラ 神の庭の遊戯』(玄侑宗久著/新潮社)に出てきた「まぶい」という言葉。沖縄の方で「たましい」のようなものを意味する言葉だそうで、人は生まれながらにして「まぶい」を何個か持っているそうです。けれども、驚いたり、衝撃的な出来事があるとその「まぶい」を落としてしまい、体調を崩したりしてしまうことがあるそうで、本の中では(ここでいうものとはちょっと違いますが)その「まぶい」を戻す儀式の様子が描かれていました。
今までの自分を思ってみても「まぶい」を落としただろう場面はいくつもありますが、昨今のいろいろな悲しい出来事を見聞きしていると、現代人は「まぶい」をたくさん落としすぎているのではないかと考えてしまいます。
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