2014年8月9日 『夕凪の街 桜の国』(こうの史代さん)が目に止まり、久しぶりに読み返した。広島の原爆が題材のマンガ。本の中にもあるけれど、誰かに、死ねばいい、死んでも構わないと判断されて原子爆弾を落とされたのは確かだと思う。 けれど人間として生まれたからには、誰にとってもそんな悪意を持たれるおぼえはない。ましてや国に対して向けられた悪意、敵意を、一般庶民が引き受けるなどという悲劇は繰り返してほしくない。 悪意ということに関しては、戦争だからということではなく日常においてもそうだろう。心をてのひらに取り出し、佛教でいうところの三毒を、再び生まれることのないように削り落としたい。 またいつも疑問に思うのは、ニュースの報道で耳にする、沖縄は、広島は、長崎は…慰霊の日を迎え云々というセリフ。日本のどこで同じような惨劇が起こっていてもおかしくはなく、またひるがえって他の場所でも空襲は繰り返されていたのに、なぜ地域限定のようにするのか。 亡くなった人々は、自分と、つながる人間の身代わりであるような気がしてならない。今生きているのは、そんなものを偶然まぬかれただけではないのだろうか。 また雨が降ってきた。 風が止まる夕暮れ時、高台から遠く眺めた穏やかな瀬戸内海と島々。夕凪の広島の記憶。 2014年8月10日 『東京の戦争』(吉村昭氏)読了。戦中・戦後の市民の暮らしを、筆者の目を通して追体験しているかのように感じる回想録。最近は、こういった時代や背景をだんだんと身近に起こりうるものとして感じられるようになってきたので、歳を重ねるのは悪くはない。 『戦争を知らない子どもたち』という歌の、戦争を知らずに僕らは生まれた〜♪という歌詞を子供の頃に聞き、戦争を全く知らない自分に長い間ずっと負い目を感じていたが、世間のオトナだって誰も知らないし知ろうともしていないと気付いた時の、あの虚無感は忘れられない。 そうでない人も大勢いることを知ることができたのも、歳を重ねてよかったと思うこと。