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霊峰御嶽と木曽馬と宿場町

 夏の旅行に、霊峰御嶽山と木曽馬の里と宿場町へ行きました。(文章一部修正しました。2013.9.8)

 御嶽山は姿を見たことはあっても、そのお山の近くに行くのは初めてでした。霊峰ラインと呼ばれる道には、下の写真のような大きな板碑(のようなもの)があらゆるところに安置されています。御嶽信仰に関係のあるものですが、このような光景は初めて見ました。

 霊峰ラインとは違う道にある、御嶽神社の里宮です。石段を上がって行きます。あたりは暗く静かで、とても厳かな雰囲気でした。社務所で御嶽神社のガイドブックを購入しました。

 神社から山の上に向かって車を走らせると見てくる清滝。駐車場から滝の姿が見えます。5~10分程歩くと滝のすぐ近くに行けますが、水量が多く、少し身の危険を感じるほどです。この滝に打たれて体を清めるそうです。

 清滝からさらに車を走らせると、新滝の入口が見えてきます。こちらも歩いて10分前後で滝の近くまで行くことができます。この滝も水量が多かったです。ここでも滝に打たれるようです。

 車で行くことの出来る最終地点の駐車場に車を止め、田の原と呼ばれる場所から少し山道を上ると、御嶽山の遥拝所に着きます。訪れた日の前日の夜中は雷雨でしたが、朝には雨も上がり、青空が見えていました(東京は朝から電車の止まるほどの雨だったそうです。前日には名古屋で大雨、栃木で竜巻)。ただ山の天気は変わりやすく、散策しているこの時だけ山頂を望むことができ、この場所を離れた後は雨が降ってきました。鳥居の奥に見えるのはいろいろな神様の像です。霊峰と呼ばれるゆえんが分かるような気がしました。

 ところ変わって、開田高原にある木曽馬の里へ。ここでは今では数が少なくなってしまった木曽馬の保護などをしています。木曽馬はおとなしく、とてもかわいかったです。
 泉鏡花の『高野聖』に出てくる馬はおそらくこの木曽馬なのでしょう。 高野聖の舞台を訪ねてもみたかったのですが、今回訪れた所とは場所が違うようでした。そもそも蛇がごろごろしていたり、ヒルが降ってきたりというところは、もし存在したとしても行きませんが…。

木曽といえば中山道の宿場町で有名です。奈良井宿へ行きました。趣のある建物がずらっと並んでいます。建物の中を見学しましたが、家は奥に向かって長細い造りになっていました。木曽の方の家は何となく低い造りになっているような気がしました。

 木曽路はもう秋の気配が漂っていました。木曽節の「♪木曽の御嶽山は夏でも寒い~」とあるように、盛夏も過ぎているので、御嶽山だけではなく標高の低い宿場町でも涼しいくらいの気候でした。
 パンフレットで見た御嶽山の紅葉がとても綺麗で、その季節にまた訪れてみたい。そしていくつかある峠から、その秋色に染まった御嶽山の全容を眺めてみたい。そして木曽馬にもまた会いたい。
♪I left my heart in San Franciscoの歌のように、心を置いてきてしまったような気がしています。

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