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ふだらく

 ある本を読んでいて出てきた『補陀落渡海(ふだらくとかい)』という言葉。何となく知っていただけだったので、改めて調べてみました。

 仏教では西方に阿弥陀如来の極楽浄土、東方には薬師如来の瑠璃光浄土などがあるとされているのですが、それと同様に南方には観音菩薩のおわす補陀落山があるとされ、その補陀落(浄土)を目指して多くの僧達が海を渡っていったそうです。

 またチベットにおいて、歴代のダライ・ラマ法王が住まわれたポタラ宮の“ポタラ”も、この“ふだらく”という言葉を意味する(サンスクリット語)ものだそうです。ダライ・ラマ法王は観音菩薩の化身ということになっていますので、ポタラ宮という名前の由来に、ここで繋がりました。

 補陀落渡海は、紀伊の那智勝浦から海を渡るものが有名なのだそうですが、ただ、“海を渡る”と言っても、大きな船で航海をするというものではなく、ひとつの捨身行で、渡海船といわれる小さな船の中央に小屋を設け、そして中に入った人が出られないように外から釘を打ち付けて、海へ流すというものだったそうです。

 今を基準にして考えると滅茶苦茶なことだとしか考えられませんが、また当時においても普通のことであるはずはないでしょうし、今の私には到底想像の及ばないものがあったのだろうとしか書くことは出来ません。そしてこの補陀落渡海には何か、即身成仏と同じような考えが根底にはあるのだろうかと思いました。それとも山岳信仰の荒行の極みであったりするのでしょうか。

 Wikipediaには復元された渡海船の写真が載っていますが、小屋の四方には鳥居が備え付けられ、神社を思わせるような特異な形をした船です。

 黒潮の流れる大海へと送り出されるこの船の小屋の中で、一体どんな思いを抱いて観音浄土へと向かっていったのでしょうか。


〈参考〉補陀落渡海(Wikipedia)

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