スキップしてメイン コンテンツに移動

多摩川の源流を求めて、笠取山

多摩川の一滴

東京を流れる多摩川。その源流はどうなっているのだろうか。最初の一滴を求めて、山梨県の笠取山へ行きました。

一ノ瀬高原へ

青梅街道を東へ走り、小河内ダム(奥多摩湖)を越えて、山梨県に入り、さらに山奥へと車を走らせます。そして途中から道をそれて、一ノ瀬高原を目指し一ノ瀬林道を北へ走ります。作場平の駐車場に車を停め、笠取山へ向かいます。まずは一休坂分岐を目指します。
笠取山
登山道の横を流れる沢
笠取山
登山道と沢
笠取山
針葉樹

笠取小屋へ

一休坂分岐からは、東側の一休坂と西側の沢沿いの道に分かれますが、今回は一休坂を往復します。ここからは少し登っていきますが、木々の新緑が美しく、とても爽やかな山歩きです。ツツジも咲いていました。

笠取山
ツツジの花

笠取山
一休坂の登山道

笠取山
一休坂の登山道

分水嶺へ

笠取小屋を越えて少し登ると、視界がひらけます。雁峠分岐をまっすぐ進み、まずは分水嶺に行きます。

笠取山
笠取小屋から雁峠分岐へ

笠取山
雁峠分岐

丘の上にある分水嶺です。多摩川、荒川、富士川に分かれるそうです。
笠取山
多摩川・荒川・富士川の分水嶺

笠取山へ

分水嶺を下ってさらに進むと、笠取山が見えてきます。山頂まで道が一直線に続いています。
笠取山
笠取山

笠取山
道脇のスミレ

笠取山の登りはなかなか急な道が続き、上の方はさらに急になっています。
笠取山
笠取山上部
山頂からはとても眺めがよいです(本当の山頂はこの少し東側にあります)。ここからは富士山や南アルプスも見えるはずですが、今日はどちらも霞んで見えませんでした。山頂にはシャクナゲの花が咲いていました。
笠取山
笠取山山頂

笠取山
笠取山山頂のシャクナゲ
こちらが本当の山頂(1,953m)です。見晴らしはよくありません。
笠取山
笠取山の本当の山頂
この先をさらに進み、山頂を巻くようにして、ちょうど山頂の南側にある水干(みずひ)とよばれる多摩川の源流部を目指します。
笠取山
ハナネコノメ
水干の碑と奥の岩の下部が多摩川の源流部です。
水干:笠取山
多摩川の源流部、水干
岩壁から水がじわりとにじみ出てきているようでした。ここから東京湾まで138km、どれくらいの時間をかけて流れていくのでしょうか。
水干:笠取山
多摩川の源流部、水干
水干の下にある沢に行くと、水の流れが始まっていました。
水干:笠取山
写真の中央上が水干のある場所です。右側の岩の下あたりで流れがありました。
源流部の流れの様子です。


雁峠

まだ時間が早いので、近くの山へと足を伸ばしました。雁峠分岐まで戻り、雁峠へ向けて燕山(つばくらやま)を見ながらなだらかに下っていきます。途中小屋がありましたが使われていません。
雁峠
燕山
雁峠は笠取山と燕山の中間にあり、木のベンチもあり、休憩するにはもってこいの場所です。風の通り道にもなっているようでした。ここから南西へ下っていく道もあるようです。
雁峠
雁峠
燕山・古礼山
リンドウの花

燕山・古礼山へ

燕山山頂(2,004m)は木々に覆われたとても地味な山頂でした。ここから西へ向かって歩きます。
燕山・古礼山
燕山山頂
このあたりはほとんど人もなく、とても静かな山歩きでした。古礼山(2,112m)の山頂は暖かく穏やかで、大きな木の根元でしばらくゆっくりとしていました。昼寝でもしたいところですが、山深く、人がいないので、クマが来ないか気になってしかたありません。
燕山・古礼山
古礼山山頂
燕山・古礼山
特徴的な木
笠取山
燕山からの下りで正面に見える笠取山

一休坂から駐車場へ

笠取小屋から一休坂の道では、沢の横を歩きますが、そこに生える草花がとても綺麗です。
笠取山
沢と草花
朝は気が付きませんでしたが、帰りの道ではセミ(ハルゼミ?)が鳴いていました。

駐車場の近くでは、源流部の一滴が集まり、これほどの流れになっていました。朝も見た流れですが、源流を見たあと、一滴一滴がこれだけの流れになったのだと思うと感慨深いものがあります。
笠取山
水の流れ

大栗展望台

駐車場から車を出し南へ下っていくと、大栗展望台があり、笠取山から唐松尾山や飛龍山などの奥秩父の山々が一望できます。とてもいい眺めです。
大栗展望台
大栗展望台

多摩川の源流

東京湾に注ぐ多摩川。その源流部を探しに138kmさかのぼり、たどり着いた場所では岩から水がじわりじわりと滲み出しているようでした。笠取山は一時期は荒れた山になっていたようですが、水源の森として整備され、とても新緑がきれいで爽やかな山でした。

2016年5月下旬 笠取山、燕山・古礼山

コメント

このブログの人気の投稿

星のカケラ

星のカケラ 小惑星  先日、日本の小惑星探査機が小惑星から持ち帰った星のカケラを見てきました。  探査機はやぶさが小惑星イトカワから、探査機はやぶさ2が小惑星リュウグウから持ち帰ってきたものです。  どちらも顕微鏡サイズの粒子ひと粒で、モニターに映し出されたものを見学していましたが、火星のあたりの軌道を公転している小惑星から持ち帰ってきたものだと思うと、ごく微細なものながら、そこにはロマンが、そして学術的に貴重な情報がいくらでも詰まっているように感じます。  はやぶさ2は、サンプルを地球に落としたあと、そのまま次の小惑星に向かっているそうです。 技術の進歩、シンギュラリティ  人が実際に火星に降り立つ未来が見えつつある現在に自分がいることを考え併せると、将来から見たら宇宙開発のごくごく黎明期なのかもしれませんが(逆に宇宙開発がとどまることのないようにそうであってほしいと思います)、この時代にいて技術の指数関数的な進化を感じられ、実際に映像で見ることができるなんて、なんてラッキーなんだと思います。  ついでに、シンギュラリティがどうなるのか気になるところですが、未来から見て過去のある時点でシンギュラリティが起こったというようになるのか、それとも現在進行系で感じられるのか、楽しみでもあり何が起こるかわからない恐怖も感じます。  ひとり天文部の部活動でした。

魚料理ほか

魚料理ほか ごまさばの生姜焼き  干物はよく食べたりしていますが、生の魚を調理するのはなんだか久しぶりです。  ごまさばが安かったので買ってきました。単純に塩焼きでもよかったのですが、ちょっと変わったものがないかとネットを探していたら、生姜焼きというのがあったので作ってみることにしました。  塩をふって、小麦粉をまぶして焼き、生姜、酒、みりん、醤油をかけながら焼けば出来上がり。魚は意外とあぶらが乗っていたのですが、さっぱりとしておいしかったです。 ごまさばの生姜焼き 冷凍バナナ  冷凍バナナは子供の頃に食べた懐かしい記憶がありますが、最近はアイスを買うのをやめ、冷凍バナナにしています。  ゼリーなどを作るときに、砂糖の量にびっくりしてしまい、きっとアイスにもかなりの量の砂糖やいろんなものが入っているんだろうなと思いつつ、好きで食べていたのですが、暑くなってきてバナナの熟し方が激しくなってきたので、久しぶりに冷凍バナナを作ってみました。すると、とても甘くておいしかったので、いっそのことアイスをやめてバナナに置き換えてみました。子供の頃と比べて最近のバナナは全体的に甘い気がするので、それで冷凍しても甘くておいしいのかもしれません。  バナナは適当な大きさに切って冷凍しておき、そのままで食べたりもしますが、よくヨーグルトとハチミツをかけて食べています。冷たいバナナが食べているうちにやわらかく溶けてきて、とてもおいしいです。 猛暑  連日の猛暑で、気温に対する感覚がおかしくなっている気がします。夜になっても30℃あるのは普通だし、日中も35℃ないとそんなに暑くないのではないかという気になってしまいます。クーラーをつけていないともうやっていられないのですが、それで風に当たりすぎてしまったせいか、体調不良になってしまいました。  そういえば最近は聞かなくなりましたが、電力の逼迫状況などはどうなのでしょう…。 スズメバチ  去年、玄関脇にアシナガバチが巣を作って駆除してもらったのですが、今年はキイロスズメバチっぽいものがうろうろしていました。単独行動っぽいのですが何度も刺されるわけにはいかないので、去年買っておいた蜂用の殺虫剤を使いました。さすが蜂用だけあって強力で、飛んでいたのが地面に落ちましたが、それでもまだ動いている生命力の強さ。

写真の加工について

写真の加工について 写真の色とは? 最近はスマートフォンで写真が簡単に編集できます。 それで、やろうと思えばいくらでも加工できてしまうけれど、たとえば色の加工をどのくらいやるのかといったときに、それは自分がどれくらいまで許容できるのか、ということなのかなと唐突に思ったりしています。 人それぞれ見えているものの色は完全に一致しているわけではないと思うし、写真を撮った時点でデータは加工され、それはフィルムであっても同じでプロの写真も(プロだからこそ?)魅せるように加工されていたし、そもそも今は印刷物ではなくモニタや画面で写真を見る機会が多いと思うけれど、それらの機器の色の設定や見え方はバラバラだし、もはや印刷物や作品として仕上げるのでなければ、色のこだわりは、自分の撮影や再生環境の設定の中で自己満足するものでしか成り立たないのではないかと思ったり。 ゲームの世界 一方で、近頃のゲームは絵が綺麗で、実際の風景の写真でなくても、画面のキャプチャー画像で十分美しいと思えるほど。逆に実際の風景をゲームっぽく加工したらそれは綺麗だと思えるのだろうか、その違いってなんなのだろうと思ったりして、これは受け取る側の問題なんだろうと思うと、やっぱり自分が作るものも見るものも、自分でどれくらい許容できるのかということになるのかなと思っているところです。 現実と仮想現実のはざま 現実と仮想現実の境界はどんどん曖昧になっていて、脳はすぐ騙されてしまい、けれどそれが悪いということではなく、ただそういう特質があるということだと思うので、科学技術でよい方に騙して騙されていけば、今あるものとはまた違った進歩の道も開けてくるのかなと思ったり。 こんな加工は…? ということで、試しに今までやったことのないくらい加工をしてみましたが、これくらいやってもこれはこれでいいような気がしてきました。 ずいぶん強めに加工した写真 フィルムがメインだった時は、写真を加工するなんてことはほとんど考えられなかったけれど、今は加工前提で写真を撮っているし、おまけにスマートフォンで簡単にしかも高度に加工できるようになったおかげで、こんなことを考えるようになったのかもしれません。