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クジラのとむらい

 青森、恐山の南和尚さんのブログで、大間の漁師さんたちがマグロの供養に恐山へお参りされていたという記事が以前あったのですが、こういう記事を見ていていつも思い出すのはクジラの供養のことです。
 捕鯨の歴史があったとある町(島)では、捕ったクジラの弔いの為、ちゃんと一頭一頭に戒名を授けて、お寺の過去帳に記してあるということです。海の上であんな大きな動物を捕らえるだけでも無事では済まなかったでしょうし、またその肉は人の命をながらえさせるための重要なタンパク質で(油やヒゲや骨まで全て何かしらに使っていたようです)、直接的に命に関わることだからこそ、また日本人の培ってきた素晴しい心の表れとして、感謝の念を忘れることなく、それだけ丁重に供養していたのだろうと思います。

 お寺へ行くと、お人形は当然、石段や箸や筆や針やお花や茶せんまで、そんなものまで?と思ってしまうほど、いろいろなものを供養する石碑があったり行事があったりしますが、全てのものに感謝するという心(仏教的なものかもしれませんが)、そんなものを大事にしていきたいと思います。

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